『論語』管仲之器捕捉

管仲の「衣食足りて礼節を知る」路線に対立する孔子の言葉を『論語 (岩波文庫 青202-1)』発見したのでメモ。

子貢が政治のことをおたずねした。先生はいわれた。「食糧を十分にし軍備を十分にして、人民には信を持たせることだ。」子貢が「どうしてもやむをえずに捨てるなら、この三つの中でどれを先きにしますか。」というと、先生は「軍備を捨てる。」といわれた。「どうしてもやむをえずに捨てるなら、あと二つの中でどれを先きにしますか。」というと、「食糧を捨てる。昔からだれにも死はある。人民は信がなければ安定してやっていけない。」といわれた。(p230-231)

誰だったか、立候補するかどうかを問われて「信なくんば立たず」と見得を切った政治家がいたが、孔子が言った「民は信なくんば立たず」は、立候補の心構えとして言われたものではなく、政治への信頼がなければ社会は成り立たないという趣旨のことであった。
それはともかくとして、「倉廩がみちて民は礼節を知り、衣食が足って人は栄辱を知る。」として富国強兵につとめた管仲が聞いたら笑い出しそうなことを孔子は言っている。「食を足し兵を足し、民をしてこれを信ぜしむ。」はよいとして、民衆の信頼を得るにはまず衣食を足りさせることであろう、と管仲なら思っただろう。
しかし、孔子とてガチガチのイデオローグではない。「諸侯の国を治めるには、事業を慎重にして信義を守り、費用を節約して人々をいつくしみ、人民を使役するにも適当な時期にすることだ」(p23)と、穏当なことを言っている。両者の違いはアクセントの置きどころくらいにしか見えないのだが、それにしては孔子管仲批判「管氏にして礼を知らば、たれか礼を知らざらん。」は激しい。管仲孔子、これは考えどころかも知れない。