促進委員会案前文案

annntonioさんの記事から。
http://d.hatena.ne.jp/annntonio/20060405/1144250112この教育基本法改正促進委員会・起草委員会は、一部国会議員の、任意のサークル活動なので、これがこのまま政府提出法案になることはありえないが、教育基本法改悪をしたがっている勢力の本音がよく出ている。
胃が重くて本が読めないので、政府提出法案が出るまでこれをからかって遊ぼう。

前文

 人類社会は今、幾多の歴史的経験の中で、世界の平和と繁栄、自然と人類との共生社会の実現をめざしている。
 我らは自他の敬愛と協力のもと、自然との調和、多様な文化の受容と共存を培ってきた我が国の誇りある文化を受け継ぎ発展させ、人類社会に貢献することが、崇高な使命であることを確信する。
 我らは、この使命を果たすために、広い国際的視野を保持し、我が国の豊かな伝統と文化に立脚する新しい教育の意義を自覚しなければならない。
 ここに、その使命の実現が、家庭、学校、社会、国家を通じた教育によるものと認識し、我が国の教育の新しい基本を確立するため、この法律を制定する。

まず日本語がおかしい。「多様な文化の受容と共存を培ってきた我が国の誇りある文化」とは何事か。「培ってきた」は「文化」にかかる語だろうに。ここは「多様な文化の受容と共存によって培われてきた我が国の誇りある文化」がよい。言葉じりはともかくとしても、この前文で「我が国の誇りある文化」を「多様な文化の受容と共存」によって規定してしまった以上、文化の継承は排他的であってはならないことになってしまうのだが、それでよいのだろうか。私はそれでよいと思うのだが、この文案の起案者の意図はそうではあるまい。
家庭を法によって規定された教育の手段としている点も大胆。もちろん家庭でも教育は行われるが、それはあくまでも私的な教育であろう。教育基本法が規定するのは公教育のあり方のはずである。
前文を読んで思ったのは、この案を起草した人は自分が何をしたいのかがわかっているのだろうか、という不安である。取り返しのつかないことになってから、そんなつもりじゃなかった、なんて言いそうだなあ。

第一条(教育の目的)

一 教育の目的は、各個人に内在する可能性と価値を開花させ、心豊かな個人を育成するとともに、共同体とのかかわりの中で人格を陶冶し、家庭、社会、国家、ひいては世界に貢献する日本人の育成を図ることにある。二 この目的を達成するため、あらゆる段階において、伝統と文化の尊重、愛国心の涵養及び道徳性の育成を図るものとする。

あらら、これは露骨。前文では「人類社会」、「世界の平和と繁栄」、「広い国際的視野」などと謳っていたのに、また第一条の一でもトーンダウンしながらも「ひいては世界に貢献する」とあるのに、その目的の達成が「伝統と文化の尊重、愛国心の涵養及び道徳性の育成」だけでできると考えているのかしら。目的と手段が食い違っている。
前後するが「各個人に内在する可能性と価値」というのは、ある特定の人間観を前提としたもので、法律で規定すべきものかどうか疑われる。これは教育学上も問題ではないのか。
育成されるのが「日本人」になっている点にも注意。これは民族のことか、国籍のことか、住民のことか。