報じられた発言が全部トンデモであるのは珍しい

あまりにもふざけた話だし、すでにあちらこちらで話題になっているので放っておこうかとも思ったが、読み返すたびにムカムカするので一言。
例の産経新聞の記事のことです。
http://www.sankei.co.jp/databox/kyoiku/200609/060904b.html
徴農」が話題になっているが、以下の点もはなはだしいトンデモだと思う。
他はマシということではなく、産経新聞が報じた発言は全部トンデモである。
政治家の失言・暴言はこれまでもいくらもあったが、報じられた発言が全部トンデモであるのは珍しい。失言・暴言だけをピックアップして記事にしたような印象すらある。もしかしたら産経新聞はこの三議員に悪意でもあるのだろうか。
下村博文衆院議員の発言より。

 ジェンダーフリー教育は即刻やめさせる。自虐史観に基づいた歴史教科書も官邸のチェックで改めさせる。

 一番大切なのは心であり、徳育だ。そういったものを、推進会議で一気に処方箋(せん)を作って実行に移すことが必要だ。

これは言論統制と思想教育をするということではないのか。
文科省教科書検定ですら、タテマエ上は史観を問題にしてはいないだろう。
山谷えり子内閣府政務官の発言から。

 カリキュラムを実態に応じて見直すことができるのは、文科省ではなく官邸にきちんとした集団を作ることによって初めて実現する。

カリキュラムを実態に応じて見直すということがどういう作業なのかわかっているのだろうか。それとも藤岡(信勝)氏と高橋(史朗)氏が国定カリキュラム(学習指導要領)を編成するのか。
作業のことはともかく、教育の内容を官邸が一義的に決定するとしたら、これもやはり教育統制である。
稲田朋美衆院議員の発言から。

 教育基本法愛国心を盛り込むべきだ。愛国心が駄目なら祖国愛と書くべきだと主張したら、衆院法制局が「祖国という言葉は法律になじまない」と言ったが、法律を作るのは官僚ではなく国会議員だ。

下村議員も、山谷議員も、文科省官僚への不信と敵意をむき出しにしていた。おそらく官僚たたきは本気で言っているのではなく体のいいスケープゴートのつもりであろうが、ともあれ、ここには官僚的な遵法主義が邪魔だ、というニュアンスが読みとれる。
自分たちが政権を切り盛りするようになったら法治主義を放擲し、改革のためには超法規的措置も必要、とか言い出しかねない鼻息である。
もし、この報道が事実であり、かつ、三議員が皮肉や批判のために挙げたに過ぎない例を、産経新聞の記者が積極的な主張だと勘違いして記事にしたのではないのなら、三議員は法治国家や民主主義を理解できずに、権力を握れば何をしてもよいと思い込んでいる、非常に幼稚な考えの持ち主であることになる。
こんな記事を書かれて黙っているようでは国会議員としての名誉は保たれまい。三議員は即刻、産経新聞社に抗議すべきであろう。