原ファシズムの特徴13 質的ポピュリズム

以下、『永遠のファシズム』より写経。

 13 原ファシズムは「質的ポピュリスム」に根ざしたものです。民主主義の社会では、市民は個人の権利を享受しますが、市民全体としては、(多数意見に従うという)量的観点からのみ政治的決着能力をもっています。原ファシズムにとって、個人は個人として権利をもちません。量として認識される「民衆」こそが、結束した集合体として「共通の意志」をあらわすのです。人間存在をどのように量としてとらえたところで、それが共通意志をもつことなどありえませんから、指導者はかれらの通訳をよそおうだけです。委託権を失った市民は行動に出ることもなく、<全体をあらわす一部>として駆り出され、民衆の役割を演じるだけです。こうして民衆は演劇的機能にすぎないものとなるわけです。いまでは質的民衆主義の格好の例を、わざわざヴェネツィア広場やニュルンベルク競技場にもとめる必要はありません。わたしたちの未来には、<テレビやインターネットによる質的民衆主義>への道が開けているのですから。選ばれた市民集団の感情的反応が「民衆の声」として表明され受け入れられるという事態が起こりうるのです。質的民衆主義を理由に、原ファシズムは<「腐りきった」議会政治に反旗をひるがえすにちがいありません>。ごく初期にムッソリーニがイタリア議会で行った演説に、こんなくだりがあります。「このものも聞こえぬくすんだ議場を、わが中隊の野営の地に変えてみせてもよかったのだ」。事実、かれはすぐさま中隊にとって最高の宿舎をみつけたのですが、それから間もなくして議会を解散させてしまいました。議会がもはや「民衆の声」を代弁していないことを理由に、政治家がその合法性に疑問を投げかけてるときは、かならずそこに原ファシズムのにおいがするものです。
エーコ、前掲書、p56-p58