信仰はないけれど

実は秘かに『イエスという経験』を読んでいる。

イエスという経験

イエスという経験

別に隠すようなことではないけれども、僕はクリスチャンの家庭に生まれ育ったくせに、自分にはキリスト教の信仰心がないので、こうした本を読むことにはどこか後ろめたい気持ちが生じる。
もちろん、同書は文献学の成果に立って、聖書の文言のなかから歴史上のイエス、後にキリストと呼ばれることになった古代ユダヤ新宗教運動の指導者の原像を析出しようという試みであって、信仰の書というわけではないのだけれども。
なにぶん通勤電車の中で読んでいるのでまだ半分ほどしか読んでいないが、めっぽう面白い。