名乗りへの権利

著名ブロガーの実名暴露事件で大騒ぎだが、基本的にはD_Amonさんの「言論での争いは言論自体でケリをつけるべし」という指摘に賛同する。
http://d.hatena.ne.jp/D_Amon/20071221/p1

プライバシーの侵害は言論者の生活自体への攻撃となりかねず容認できない。

と思って、暮らしの安全を願う人々が論争相手のプライバシー情報を漏らすような人を批判・非難するのは妥当な判断というものでしょう。

論争相手のプライバシー情報を漏らすような人が自らの暮らしの安全を失うことも覚悟の上でプライバシー情報を明かしている人だとしても、その覚悟を他人にまで強いようとするのは横暴です。

「暮らしの安全を願う人々が」という条件を付ける必要はないと思うが、おおむねその通りだと思う。
条件を付ける必要はないというのは、例えば、僕はブログには実名を出していないけれども、ハンドルネームのt-hirosakaは、売れないライター時代に使っていたペンネームのイニシャルであり、その気になって調べれば本名だって推定できるだろう。
ネット上でお付き合いのある方の何人かとは面識もあるし、その方々は、もちろん僕の所属も仕事もご存じだ(妻と会った人もいる)。
ただ、僕は自営業だから所属を明らかにしてしまうと、ブログに書く行為が、自分では仕事と一線を画した個人の趣味のつもりでも、他人からはそうは見えなくなる(会社のホームページと受けとめられる)だろうという僕の懸念をみなさんご理解くださっていて、ネット上ではt-hirosakaと呼んでくださっていることに感謝している。
けれども、僕の場合、実名と所属を明かされたからといって、たいして困ることはない。
せいぜいが僕個人の愚痴を会社(妻)の見解と受け止められては困るから、という理由でこのブログを閉鎖する程度だろう。
どうせ書いていることは晩ご飯の献立と読書日記くらいだから、その時は、また別のハンドルネームで再開すればよいだけのこと。
つまり「暮らしの安全を願う人々」のうちに僕は含まれない。
それでも、誰かから一方的に僕(t-hirosaka)の身元を明かされたら、不愉快である。
この不快感は「暮らしの安全を」願うか願わないかとは関係ないような気がする。
たぶん、ブログ上は僕を「恐妻家の献立表」の筆者・t-hirosakaとして扱って欲しい、という僕の希望を踏みにじられた気がするからだ。
名乗りへの権利、とでも言ったらいいのだろうか。
もちろん、僕だって、面白いことを書いているブログの筆者はどういう方なんだろう、という好奇心はある。そういう気持ちが出てくることは抑えられない。
好奇心を抑えきれずに、ズバリお尋ねしてみたこともあるが、けれども「それはナイショ」と言われればそれまでで、それ以上は深追いしないことが名乗りへの権利を尊重するということなんじゃないかと思っている。