Web評論誌『コーラ』7号

最近、私にしては忙しい毎日を送っている。
それなのに黒猫房主さまときたら、Web評論誌『コーラ』7号を発刊したという。
http://sakura.canvas.ne.jp/spr/lunakb/index.html
もちろん、これは同誌の看板「シリーズ〈倫理の現在形〉」の第一回をつまらない書評もどきの駄文で汚した私への嫌がらせである。
「倫理の現在形」シリーズは、今回は永野潤先生である。
http://sakura.canvas.ne.jp/spr/lunakb/rinri-7.html
永野先生と言えば、本名をid:sarutoraさんと言って、往年のベストセラー『図解雑学サルトル』の著者だ。このご時世に最後までサルトルと心中するのは永野先生だけだろうと噂されていることくらい私ですら知っているという大家だ。
今回のご論文も不二子不二雄への偏愛が滲み出ている素晴らしい出来である。
それにしても、よくもまあそうそうたる方々の寄稿がつづくものだ。
しかし、考えようによってはこれも私のお陰と言えなくもない。
〈倫理の現在形〉と言ったって、ふつうなら何を書けばよいのか迷うだろう。
それに書き手が気鋭の研究者の方々ともなれば、あまりみっともないものは発表したくないだろうから、渋る人もいるだろう。
そこで狡猾な黒猫編集長は無名の元怪談ライターくずれの駄文を引っ張り出すのである。「こんな風に適当に書いてもらえればいいのです」と。それを見れば研究者の方々なら「ふーん、この程度でいいのなら、もっとマシなものが書けるや」と気楽に引き受けてくださるというものだ。
こうしてこのシリーズは高いレベルを維持し続けているのだから、その底辺をマークしている私の貢献度や推して知るべしと言うものだ。
この「倫理の現在形」シリーズはいずれ、どこかの出版社から本になって出されるのではないかと思われるが、その時は私の駄文は削られることになるだろう。
まあ、今回はそんなことはどうでもよろしい。
問題は映画アンケートである。
http://sakura.canvas.ne.jp/spr/lunakb/filma08.html
昨年観た映画のうちから気に入ったものを挙げよ、とのことだったので、去年は私にしては映画をよく観た方だったから、つい素直に回答してしまった。
観て楽しかったものを挙げたのだが、他の方々の回答を見てみると、どれも世評の高い名作や問題作を挙げておられる。芸術的香気が立ちのぼるようだ。それなのに、私ときたら…。
常盤貴子が美人だとか、小野真弓がかわいいとか、ゆうこりん萌え、などと惚けたことを言っているのは私一人ではないか。
助平おやぢぶり丸出しで恥ずかしいことこの上ない。
しかも、私のすぐ次は最近話題のid:F1977さんなのである。挙げておられるのは次の三作。

1.「NAKBA」(2008年/広河隆一監督)

2.「ルート181」(2003年/ミシェル・クレイフィ、エイリアル・シヴァ監督ン)

3.「パラダイス・ナウ」(2005年/ハニ・アブ・アサド監督)

なんだかとてもグローバルでトランスナショナルな選択ではないだろうか(って、意味わかんないで言っているのだか…)。
解説も真摯かつ視野の広い名文なのだ(F1977さんのブログを参照されたし)。
助平おやぢの惚け談義の次がこれである。
この配置は偶然だろうか。
いや、決してそうではないのだ。
なぜなら、F1977さんの次は、なんと永野潤という人なのである。
永野氏が選んだのは次の三作である。

1.「崖の上のポニョ」(2008年/宮崎駿監督)

2.「グーグーだって猫である」(2008年/犬童一心監督)]

3.「サイレントヒル」(2006年/クリストフ・ガンズ監督)

これだけなら何と言うこともなさそうに見えるが、ここには私への陰湿な攻撃が潜ませてあるのだ。
永野氏は、私なら主題歌を歌っていた女の子が可愛い、ですませてしまいそうな「崖の上のポニョ」に諸星大二郎の影を読みとっている。

宮崎は、諸星大二郎の大ファンだそうで、文部省推薦的お子様映画という自分のイメージを壊して、諸星大二郎のようなものを作りたい、という気持ちがあるのだと思います。

実は、私が選んだうちの一作は諸星大二郎が原作のものだったのだが、こういう深い考察はせずに、小野真弓が可愛い、の一本槍だった。永野氏の諸星への言及はそれに対する嫌味であるに違いない。
グーグーだって猫である」も問題だ。これは二重の意味で問題なのだが、それについてはあとで触れる。
永野氏は「マンガにない登場人物、設定、オリジナルのエピソードがかなり入っています」と指摘している。これは私が「20世紀少年──第1章─終わりの始まり」について、ワーイ!マンガ原作とそっくり、と無邪気に喜んでいたのに対する遠回しの批判に違いない。
そして永野氏が最後に取り上げるのが「サイレントヒル」。これはもう露骨に私への攻撃である。「サイレントヒル」はホラー映画なのだそうだ。だそうだというのは、私はこれを観ていないからである。かつて、怪談で飯を食おうと志したこともある人間にしてこの映画を観ていないとは恥と思え、というメッセージがあふれている。
本当にそうなのか、私の被害妄想なのではないか、と疑われる方もおられよう。
しかし、これには根拠がある。
この永野潤という人は、今回〈倫理の現在形〉に寄稿していた永野潤先生と同一人物ではなかろうか。おそらくそうに違いないと思うのだが、そうだとすれば、これは黒猫編集長と示し合わせての、シリーズ〈倫理の現在形〉の第一回をくだらない駄文で汚した私への懲戒であると考えるのがもっとも妥当ではないか。
そしてこれだけではない。
この映画アンケートを締めくくるのは、他でもない黒猫編集長である。黒猫氏は永野氏も取り上げた「グーグーだって猫である」をわざわざ持ち出して次のように述べている。

原作を弄んで勝手に自分の夢(偶像=アイドル)を描いたということに尽きるでしょうね。しかしキョンキョンファンとしての私は、大島弓子役の小泉今日子セミヌードにドキドキしました。

これが永野氏と連携した上で、ゆうこりんに萌えた私へ当てつけた文章であることは一目瞭然。
それにしても「小泉今日子セミヌード」かあ、「グーグーだって猫である」今度観てみようかなあ。