孫子「上兵伐謀」

誰でも知っている孫子の言葉に「戦わずして勝つ」というものがある。
正しくは以下の通り(Web漢文体系万歳)。

百戦百勝は善の善なるものにあらざるなり。戦わずして人の兵を屈するは善の善なるものなり。

この文には後段があって、次のようになっている。

ゆえに上兵は謀を伐つ。その次は交を伐つ。その次は兵を伐つ。その下は城を攻む。

要するに、いま「キングダム」の主人公・童信が夢中になっているのは、下(兵を伐つ)と下の下(城を攻む)の戦い方であって、彼の目標とする天下の大将軍にはまだまだ道遠しである。

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それでは孫子の推奨する「戦わずして人の兵を屈する」とはどういうことかというと、「上兵は謀を伐つ。その次は交を伐つ」とあるように、情報戦によって敵の策謀を未然に砕き、それがかなわなければ外交によって敵勢力を孤立させることであった。英雄豪傑が兵を率いて活躍するのは、上策たる情報戦や外交交渉によって地ならししたあとか、もしくはそれがかなわぬ場合だったわけだ。孫子はこの情報戦に従事する間者を「人君之寳也」と高く評価している。

ゆえに間を用うるに五あり。因間あり、内間あり、反間あり、死間あり、生間あり。五間ともに起こりて、その道を知ることなき、これを神紀と謂う。人君の宝なり。因間とはその郷人によりてこれを用うるなり。内間とはその官人によりてこれを用うるなり。反間とはその敵の間によりてこれを用うるなり。死間とは誑事を外になし、わが間をしてこれを知らしめて、敵の間に伝うるなり。生間とは反り報ずるなり。

「キングダム」ではいきなり「法の番人」と呼ばれている李斯も、『史記』や『戦国策』によれば若い頃はむしろ外交で活躍していた。要するに諸国の有力者を買収して回ったのである。私は、李斯の韓非との反目も、伝えられているような嫉妬からではなく、李斯が展開していた外交戦略上、韓非の存在が不都合になったからだったろうと想像している。後世の偽作とはいえ、『韓非子』存韓篇にある李斯の奏上(間違えた「上奏だ」by蒙武)、韓非との論戦は、そうした空気を伝えているように思う。
ともあれ、李斯という男は、秦による天下統一という国家目標を正確に理解し、そのための行程表を描き、自ら実行できる人間だった。それに対して「キングダム」の童信は、いまのところ目的といえば自らの出世くらいで、それも天下の大将軍になるということがどういうことか今ひとつわかっておらず、王騎将軍の感化で少しずつそのイメージを築きつつあるといったところか。
もう少し「キングダム」の人物造詣に乗っかって言えば、童信には戦闘自体が自己目的化している傾向がある。もちろん、現在、王騎将軍の指揮の下で展開されている対趙戦は防衛戦であり、そのことの意義を自隊の兵たちに説く場面もあるが、どちらかというと戦うことそのものに生き甲斐を感じているようなフシが見られる。孫子の言う上下同欲とはなかなか難しいものである。
もちろん百人将(卒?)にすぎない童信に国家戦略への理解など求めても仕方ないし、「キングダム」という作品はこの少年兵が成長していく過程を描くビルディングスロマンだろうから今後どのようなストーリー展開になるかはわからないが、童信のモデルである『史記』の李信将軍は敵兵力の見積もりを誤り大敗を喫している。
何のために戦うのかという問いは、いかなる現場でもそうだろうが、悪戦苦闘の真っ最中には無用の問いのように感じられて、机上の空論と見なされ棚上げにされることが多いが、やはりヴィジョンが有るのと無いのとではどこかに違いが出て来るのではないかと思われる。