日本ラブストーリー大賞攻略法Ver.2

宝島社主催日本ラブストーリー大賞の最終選考結果が発表されました。
http://japanlovestory.jp/info/win/
今年は、沢木まひろ『ワリナキナカ』。
登場人物たちが一人残らずしっかり描かれていて、読みごたえのある素敵な物語でした。この作品の焦点は、ヒロインたちが絆のあり方を模索するところにあるので、セックス依存のところばかりが注目されたのではもったいないなと心配していたのですが、最終選考委員の方々にはそのあたりを汲んでいただけたようでよかった。もっとも、石田衣良先生の選評がまだですので、余計なことは言わずにおきましょうか。
さて、昨年の今頃だったかと思いますが、「日本ラブストーリー大賞攻略法」と題して、宝島社主催日本ラブストーリー大賞の一次・二次審査の選考委員を第二回から第六回までつとめた経験から、応募にあたって気を付けた方がよいことを書き出しておきました。
http://d.hatena.ne.jp/t-hirosaka/20101219/1292690224
また、書き落としたことがあったのを思い出し「あたりの箱・はずれの箱」と題して補いました。
http://d.hatena.ne.jp/t-hirosaka/20110111/1294676949
要約すると次のようなことです。

  • オリジナリティのある小説であること。
  • 広い意味での恋愛を主たるテーマとしていること。
  • ストーリーが完結していて、構成に大きな破たんがないこと。
  • 読者に伝わる文章で書かれていること。
  • ただし、応募数が多いので一次選考突破には運のよしあしもあること。

昨年は、この賞のお手伝いをするのもこれで最後だろうからと思ったものですから、放談のつもりで下読みの愚痴をこぼしたわけです。
ところが、何の手違いか、今年も手伝ってくれというご依頼があって、第七回の一次・二次の選考に加わることになってしまいました。
ついでですので、今年の審査過程で気のついたことをメモしておきます。

ラノベ、落ちます

「日本ラブストーリー大賞攻略法」に大きな変更点が生じました。
ラノベ、落ちます。絶対にダメというわけではないのですが、少なくともハードルは上がりました。
これは本当にうっかりしていました。同賞を主催する宝島社さんが、この賞とは別に、ライトノベルを対象とする新人賞を始めていたのです。
そこで、ラノベ風の作品は競合する他の作品より格段に優れていない限り、ふるいにかけられる可能性が高くなりました。
ストーリーをテンポよく語るラノベというスタイルは、読み手も書き手も多く、活気のあるジャンルですので、選考対象から完全に排除するわけではないだろうと思いますが、他の作品と天秤にかけられた際には分が悪くなります。
ただし、この賞は恋愛小説であればジャンルを問わないという原則は維持されていますから、ラノベ風の作品でも恋愛を描き、かつ、その年の応募作中で抜群の出来であれば問題はありません。この点、ミステリ、SF、時代物、ファンタジーなどの扱いと同じになるということです。今年は最終審査に時代物が一点、残っています。

作品としてのまとまりが必要

今回は700点近くの応募があったということで、一次審査については全体を見渡すことなど、おそらく誰にも出来ませんので、二次審査の印象から述べます。
今年の二次審査に残った十九作品は、それぞれに面白く拝読しました。
それでは、どうしてあの五作が最終審査に残り、他の十四作が選に漏れたか。個々の作品については申し上げられないのですが、総論として言えることは、ドラマの幹となる部分がしっかりと作られていたかどうかが判定の決め手になったということはあります。
もちろん、単にシンプルな作品がいいというわけではありません。
ストーリーが単調では読者に飽きられてしまいます。山あり谷ありの方が読んでいて面白いのは確かです。
現代の複雑な人間関係に見合った舞台設定や人物造型も必要でしょう。
また、この賞の場合、主たるテーマは恋愛とはいえ、それに付随するさまざまなサブ・テーマが作品に織り込まれるのも当然です。
表現上の工夫として、複数の視点から出来事を描くのも(失敗しない限り)大いに結構です。
ただ、幹となる部分がしっかりしていないのに、あれもこれもと盛り込んでいくと、枝葉ばかり目について、読者としては、結局この作品はいったい何を描きたかったんだろう、と戸惑うことになります。
場面ごとの描写や登場人物相互の関係、サブ・テーマの展開などは、みなこの幹に関連付けられてこそ、一つの作品としてのアンサンブルとなるのであって、それなしには散漫な印象に終わってしまいます。

取材も必要

取材といっても、カメラ片手に事件現場に突入ということではなくて、事実に即した方がいい場合は下調べをするという程度のことです。
例えば、大学の教員に対して「教授」と呼びかけるセリフをよく見かけます。しかし、実際には大学の教員に「教授」と呼びかけることはあまりありません。教員同士も、学生も、「先生」と呼ぶことの方が圧倒的に多いと思います。
学校の場合だけではなく、企業でも官庁でも、その他、さまざまな職種ごとに、その業界特有の慣行というものがあります。自分のよく知らない職種や業界について書く場合は、よくよく調べておかないと、実際と違うという批判を避けられません。
歴史小説を書く場合は、時代考証をどこまで踏まえるかという課題が当然のごとく意識されるのですが、現代を舞台にする場合はわきが甘くなる傾向が見られるので要注意です。
そう言えばかつてこういうことがありました。たいへんよくできた作品だったのに、登場人物が携帯電話で話していることが問題になったのです。なぜなら、その作品の舞台が1970年代だったからです。
どうせフィクションなんだから、リアリティなんて気にしていられないという意見にも一理はあります。とくにファンタジーの場合はそうです。しかし、その場合には、読者を納得させるだけの世界観の提示が必要です。

中途半端な価値観はいらない

前項で「世界観」という言葉を用いましたが、これはもちろん作品世界についての強いイメージというほどの意味で、価値観、とくに道徳的価値観のことではありません。
ところで、作者や作者の意思を反映した登場人物の価値観、大げさにいえば思想が審査を左右することはありません。少なくとも、私自身はそれを基準に作品を評価したことはありません。
とはいえ、恋愛というテーマで一つのドラマを作り上げる過程で、そこにおのずと作者の恋愛観、人間観が意識化されるということは当然あり得ます。また、創作を、想像力で一つの世界を構築する作業と考えれば、そこには何らかの世界観が前提とされていることもまた当然です。それ自体は悪いことではない。むしろ、それがなければ作品に個性というものが生まれない。
けれども、構想の段階や執筆過程で意識化された価値観をそのまんま語っても、たいていの場合、よい小説にはなりません。
あくまでも一般論ですが、登場人物、とくに主人公が作者の価値観を代弁するような作品には面白いものがないということは言えます。道徳的・政治的・宗教的主張が述べたいのであれば、それは小説、ましてや恋愛小説という形式でなくても、他に方法はいくらでもあるでしょう。
しかも、得々と語られる価値観が、世間の常識の範囲内のマナーや心構えレベルのものだった場合は目もあてられません。恋愛小説の読者はお説教が読みたいわけではないのです。
恋愛感情は、ときに日常素朴な道徳感情や損得勘定を超越することがありますよね。だからこそ恋には、不倫も、年の差も、遠距離も、その他いろいろな恋のかたちがありえるんじゃないでしょうか。それなのに物語を世間の常識レベルの価値観に押し込めては興醒めです。
また、恋愛小説は内容的に青春小説と重複する場合が多く、そこで「自分探し」がサブ・テーマとして取り上げられることも当然ありえますが、これまたありきたりの成長や気づきの物語には読者は食傷気味です。
恋愛小説は道徳の教材じゃないんですよ。作品に表現された価値観がどのようなものであろうと、まず小説として面白くなければ評価されません。

以上は、あくまで私見にすぎませんが、商業誌デビューをめざしてこれから小説を書こうとする方の参考にしていただければ幸いです。