西門豹が河伯娶婦をやめさせた話

先日、『史記』で、西門豹の話が「滑稽列伝」にあるのに違和感を覚え、これは「循吏列伝」の方がふさわしかったのではないかと思ったものの、それも私一人の妄想かと恐れて賢者の教えを乞うた。
http://d.hatena.ne.jp/t-hirosaka/20120110/1326127106
有り難いことに、id:nagaichiさんがブックマークコメントでご教示くださいました。
「王鳴盛『十七史商榷』巻六の滑稽伝附もほぼ同じことを指摘」しているとのこと。
ありがとうございます。数日も図書館にこもらなければわからないようなことを知らせていただき感謝にたえません。
あまりにもよくできた面白い話なので、これが「滑稽列伝」に置かれていることに何かアイロニーが隠されているのか、あるいは楚の優孟の芝居のようなものだったらどうしようなどと迷った挙句の思いつきでしたが、お蔭で、私の一人合点もそれほど見当外れではないことがわかってホッといたしました。
さて、『史記』の伝える西門豹の故事が、史実かそれに近いものだとして、これを迷信の打破と結びつける記事を見かけるが、それは少し違うように思う。
少なくとも、現代の私たちがある宗教的行事を迷信として批判する場合に前提としている近代的な合理主義と、西門豹がとった行動の背景にあるものとは似ているようで違う。
有名な逸話だそうだから、自分のためのメモとして漢文を以下のサイトから引いておく。
http://ctext.org/shiji/hua-ji-lie-zhuan/zh
もちろん、私には中国語は読めない。ちくま学芸文庫の日本語訳で読んで内容を知っているので、読める漢字を拾って粗筋をたどっていくだけである。

魏文侯時,西門豹為鄴令。豹往到鄴,會長老,問之民所疾苦。長老曰:「苦為河伯娶婦,以故貧。」豹問其故,

魏の文候の命を受けて、鄴に着任した西門豹は、土地の長老たちに会い、民の苦しみとする所を問うた。長老らは、河伯の嫁取り(河伯娶婦)が民の苦しみであり、そのために鄴は貧しい、と答えた。それに対して「豹問其故」、西門豹はその理由をあらためて尋ねた。
迷信による因習を打破する目的であれば、河の神に生贄を捧げる(河伯娶婦)と聞いた時点で、そんなことはやめなさい、と言うはずだろう。其の故を問うたということは、河伯娶婦自体を問題にしたのではなく、その祭儀が鄴の人々の負担になっている理由を尋ねたのである。それが大きな負担でなければ、西門豹にとって河伯娶婦の祭儀は任地の習俗でしかなかったのではないか。
さて、長老たちは次のように答えた。

對曰:「鄴三老、廷掾常歲賦斂百姓,收取其錢得數百萬,用其二三十萬為河伯娶婦,與祝巫共分其餘錢持歸。當其時,巫行視小家女好者,云是當為河伯婦,即娉取。洗沐之,為治新傷ニ綺縠衣,鐘??鞘V戒;為治齋宮河上,張緹絳帷,女居其中。為具牛酒飯食,行十餘日。共粉飾之,如嫁女床席,令女居其上,浮之河中。始浮,行數十里乃沒。其人家有好女者,恐大巫祝為河伯取之,以故多持女遠逃亡。以故城中益空無人,又困貧,所從來久遠矣。民人俗語曰『即不為河伯娶婦,水來漂沒,溺其人民』云。」

鄴の三老ほか土地の役人が河伯娶婦の祭儀のためと称して多額の税を課しているが、その実、祭儀の費用として支出しているのは二割か三割でしかない。残りは祭儀を仕切る巫女たちと分けて私腹を肥やしている。巫女が指名した若い娘は生贄にされてしまうので、年頃の娘のいる家は町から逃げ出してしまう。その結果、人口が減り、農業を主とした鄴の経済は停滞し、ますます貧しくなる(又困貧)。
これが長老らの訴えの趣旨である。着飾った娘を台に乗せて河に流すと、しばらくは浮いているがやがて沈んでしまう、という描写は哀れを誘うが、それはこの訴えの中心ではない。
河伯娶婦の祭儀は、重税、労働人口の減少とそれによる産業の衰退、貧困をもたらしていた。これが民の苦しみとする所であり、さらに町の幹部らの不正により統治への不信も生まれていた。これこそが西門豹が行政官として解決すべき問題の核心であり、そのために彼は一芝居打つのである。
西門豹曰く「河伯娶婦の祭儀の日が来て、三老、巫祝、有力者らが生贄の娘を河に送る際、私にも知らせてほしい。私も同席して娘を見送ろう」と。人々は、はい、と言った。
さて、その時がやってきた。西門豹が河に行くと、「三老、官屬、豪長者、裏父老」が勢ぞろいし、そのほか見物の住民が二、三千人ほども集まっていた。巫女は七十歳の老女で、弟子を十人従えていた。
この「三老」というのは、町の有力者のことだろうが、三人の有力者のことなのか、「三老」という名称の役職があったのか、私はよく知らない。官僚や財界人よりも前に名前が出ていることから、町を牛耳る三人の有力政治家といったイメージで私は読んでいる。
舞台が整ったところで、いよいよ西門豹の芝居が始まる。

西門豹曰:「呼河伯婦來,視其好醜。」即將女出帷中,來至前。豹視之,顧謂三老、巫祝、父老曰:「是女子不好,煩大巫嫗為入報河伯,得更求好女,后日送之。」即使吏卒共抱大巫嫗投之河中。有頃,曰:「巫嫗何久也?弟子趣之!」復以弟子一人投河中。有頃,曰:「弟子何久也?復使一人趣之!」復投一弟子河中。凡投三弟子。西門豹曰:「巫嫗弟子是女子也,不能白事,煩三老為入白之。」復投三老河中。西門豹簪筆磬折,向河立待良久。長老、吏傍觀者皆驚恐。西門豹顧曰:「巫嫗、三老不來還,柰之何?」欲復使廷掾與豪長者一人入趣之。皆叩頭,叩頭且破,額血流地,色如死灰。西門豹曰:「諾,且留待之須臾。」須臾,豹曰:「廷掾起矣。狀河伯留客之久,若皆罷去歸矣。」鄴吏民大驚恐,從是以后,不敢復言為河伯娶婦。

西門豹曰く「河伯の嫁(生贄)となる娘を呼んで来い、器量の良し悪しをみてやろう」。
西門豹は、帷の内から出て来た娘を見ると、三老、巫祝、父老らを顧みて曰く、「ブスだなあ。この程度の器量では、とても河伯のお気に召すまい。巫女の長よ、ご面倒だか、もっと器量のよい娘を探して後日送るからと河伯に報せてくだされ」と言うや否や、部下に命じて巫女の長を河に投げ込ませた。
しばらくして、「巫女の婆さまは何をもたついているのだろう。弟子に催促に行かせよ」と、巫女の弟子を一人、河に投げ込ませた。
またしばらくして、「まだかかっているのか、弟子をもう一人、副使として遣わそう」と、また一人の巫女を投げ込ませた。さらにもう一人、都合三人の巫女の弟子を河に投げ込んだ。
西門豹曰く「巫女さんたちは女だから、正式な報告の仕方がわからないのだろう。ご面倒をおかけするが、三老の方々に報告して来てもらおう」と、三老もまた河の中へ。
西門豹は(河に放り込んだ者どもが戻って復命するのを待つかのように)筆を持って川面をのぞき込み、待つことしばし。その様子に長老や役人ら傍觀者は皆驚き恐れた。
西門豹顧みて曰く「巫女も三老も還って来ませんな。さて、どうしたものか? 次は官僚か財界の方に副使に行ってもらいましょうかね」(芝居ならたっぷり間をとって周囲を睥睨する場面だろう)。
皆は(自分は容赦してほしいと)叩頭し、地面に打ち付けた額から血を流し、顔色は死灰の如し。
西門豹曰く「わかった、もうしばらく待ちましょう」。しばらくして豹曰く「官吏諸君、立ちなさい。河伯は客を引き留めて久しい。皆さん方もこれでお終いにして帰ろうではありませんか」。
こうして鄴の官民ともに大いに驚き恐れ、これ以後、河伯娶婦の祭儀をしようとは誰も言わなくなった。
以上が、西門豹が河伯娶婦をやめさせた話である。
さて、西門豹がしたことは何か。
河伯娶婦を迷信として、その不合理であることを啓蒙したのだろうか。
ここでは、近代的な意味での科学的、社会学的、心理学的、宗教学的説明など何一つなされていない。人権上の配慮が示されたわけでも、人身御供が倫理上どうかという議論が提起されたわけでもない(孟子は動物が犠牲にされることを例に挙げて惻隠を説いたというのに)。
西門豹がしたことは、鄴の人口を減少させた祭儀の執行者(巫女)、祭儀に便乗して民に重税を課し私腹を肥やした実力者(三老)、つまりは鄴の産業を衰退させ、貧困をもたらした責任者たちの粛清であった。
官僚と財界人を見逃したのは、その後の行政の都合を考えてのことだろう。逆に、宗教的・政治的指導者を優先して粛清したのは、西門豹が鄴を統治する上で政治的ライバルになるからだろう。
つまり、西門豹がしたことは徹頭徹尾、政治的パフォーマンスだったと私は考える。
こうして鄴の支配権を名実ともに握った西門豹は、灌漑用水を整備するなど治水事業に取りかかる。労役が重いと不満が出ると「民可以樂成、不可與慮始」と言ったと伝えられる。横山光輝先生の訳では「その者達に政策をわからせる必要もない。結果が彼等のためになればよいのだ」という意味だそうである。この姿勢は「魏世家」で能吏として評価されている人物像とも一致する。
西門豹が河伯娶婦をやめさせたのも、近代的な意味での合理主義からというよりは、古代の行政官としての節操をまっとうせんとしたからではなかったかと思う。