「四谷怪談」を読む(二十五)噂の伊右衛門

『四ッ谷雑談集』中巻の二番目の章「田宮伊右衛門屋敷不思議有事付四男鉄之助死事」は、御家人たちのゴシップを並べ立てる『四ッ谷雑談集』のなかではもっとも怪談らしい場面を描く。もっとも怪談らしいというのは言いすぎかもしれないが、少なくとも私にはこの章がいちばん怖い。
まず章のタイトルについて注記しておく。『実録四谷怪談』には「四男鉄之助」とあるが、「鉄」の字は底本では旧字体である。もとの企画では底本原文を仮名遣いだけ現代風に改めて掲載という方針を取っていたので、その名残である。諸般の事情で企画の方針が二転三転したあげく超特急で作ったためこうした不統一が残った。どうかお許し願いたい。
そして、「四男」とあるのは底本通りなのだが、前後の文章では「三男」となっており、これは底本筆者の書き間違いだと思われる。「三男」とは伊右衛門の三番目の子で男子という意味で、現代なら次男にあたる。
さて、この章は次のように書き出されている。

凡夫盛成時は神も咎少し、衰時は霊其家にはびこるとかや。伊右衛門土快が縁者に成て打続仕合能、皆人に浦山れたりしに、去年稀有事有て後は怪事共多、何とやらん思ふ事共間違て仕合も下り坂に成、落着如何と思はれけり。

前章の一年後の設定である。
「凡夫盛成時は神も咎少し、衰時は霊其家にはびこる」は出典を探してみたけれども、同趣旨の言葉は見かけたが、ぴったりの表現が見当たらなかった。引用というよりことわざになっていたのだろうと思うがわからない。賢者のご教示を乞う。
伊右衛門は土快の縁者になってから運勢が上向いて羽振りがよかったが、一年前に稀有のことがあってからは不吉なことが多く、何ごとも思うにまかせず運勢も下り坂になった。
「去年稀有事有て」というのは、前章で描かれた事件を指す。
一年前、妻子とともに家でくつろぎ、ささやかな幸せをかみしめていた伊右衛門の前に、先妻のお岩の幻が現れる。伊右衛門は悪霊を追い払うつもりで鉄砲を持ち出し、空砲を撃った。屋敷内で撃ったものだから、家中の轟音がとどろき、そのショックで幼い末娘・お菊が引きつけを起こして死んでしまった。この事件から伊右衛門の転落が始まる。

風聞有けり

続いて『雑談』は伊右衛門一家をめぐって妙な噂が広まっていたことを記す。二十歳ばかりの男が夜な夜な伊右衛門の家にひそかに通っているという「風聞」が広まったというのである。
『雑談』は「風聞有けり」と、それが風評であることをはっきり書いている。これは、『雑談』作者に話題を提供した老人たちがそう認識していたということでもあろうし、『雑談』作者も明らかにそれを意識している。この箇所だけではなく、世間の噂を繰り返し書き留めている。四谷怪談の原型となった事件は現場で起きたのではなく、人々の噂のなかで起きたのである。その噂が『雑談』が記したとおりの内容かどうかはわからないが、四谷怪談に接近する者の前に現れるのは多くの噂話であり、それらの噂を通してしか四谷怪談は知りえないし語りえない、享保の頃には既にそうだったのだろう。
私がここで社会学の噂論を参照するなら、それは『雑談』作者たちに失礼というものだろう。こうしたこと、つまりモラリスト的な人間観察については現代人が江戸時代人より優れているということはない。進歩という観念は科学や社会制度には当てはまっても、人間には当てはまらない。現にインターネットの普及した現代のほうが噂にふりまわされることが多いではないか。
伊右衛門宅には、お花とお染という評判の美人母娘が暮らしているのである。それだけで噂発生の下地としては十分だ。誰かが、左門町で見知らぬ若い男を見かけたと口にすれば、さてはお花の間男か、お染の恋人か(女房の方へ来密夫共不知、又娘の方へ通ふ忍妻共不知)とたちまち噂に花が咲いたとしてもなんの不思議もない。さっそくこの目で見たという人も何人も現れて、一昨夜も来た、昨夜も来たなどと、尾ひれがついた。 この噂は当初、伊右衛門には知らせる人もいなかったが、伊右衛門宅の召使たち(召仕共)が外で聞き込んできて、伊右衛門の知るところになった。
ちなみにこの時期、伊右衛門宅では複数の使用人がいたようだ。子どもが多かったので乳母を兼ねた女中たちだろうが、御先手同心としてはかなり羽振りのよい暮らしをしていたことがうかがわれる。町奉行勘定奉行寺社奉行などに属した同心には付け届けもあったらしいが、江戸城の警備以外にこれといった仕事のない御先手組は、火付盗賊改方の加役でもないと余録はない。そして、左門町の御先手組が火盗改を兼務したという記録はないので、伊右衛門の羽振りのよさは目立ったことだろう。こうしたこともゴシップの下地となりうる。

實ならぬ夢物語

さて、噂を知った伊右衛門は驚いた。それから一か月ほど注意して様子をうかがっていたが怪しいことは起きなかった(怪敷事も見付ざりけり)。しかし、五月中旬の夜(なんだ、しょせんただの噂かと安心した頃という設定だろう)、怪異が起きた。
ころは五月、と言っても陰暦と太陽暦ではだいたい一ヶ月くらいずれるから、今でいえば六月の頃だろう。曇りがちの空に時々晴れ間から月がのぞく朧月の夜、伊右衛門がふと目を覚まして、横に寝ている女房お花を見ると、見知らぬ男がお花に添い寝をしている。
カッとなった伊右衛門は枕元の脇差を抜いてすぐさま切りつけようとしたが、いったん気を静めて脇差を置いて様子をうかがった。見知らぬ男は前後不覚に寝入っている。それを見ているうちにまた頭に血がのぼり、また脇差を振り上げた。
この場面は鶴屋南北東海道四谷怪談』で新妻お梅が「こちの人、我が夫かいの」と振り返るとその顔はお岩の顔に変わっており、驚いた伊右衛門がその首をぽんと打ち落とすと、切られた首はお梅の顔に戻っていて、「ヤゝゝゝゝやつばりお梅だ。コリヤ早まつて」という場面を連想させる。『雑談』でも激昂のあまり、その首をポンと打ち落としていれば、南北の「芝居」と同じ展開になったところだが、『雑談』の伊右衛門は冷静だった。
二度までも脇差を振り上げた伊右衛門だったが、いや待て、寝首をかいたとなれば、あとで問題になるかも知れぬ(後日の批判不可然)、こやつの顔を確かめ、女房の開き直ったつら(女房の生つら)も見てから切ろう、と思いなおし、声をかけてお花を起こした。
短い場面だが、伊右衛門に二回思いとどまらせることで緊張感を高めているところなど、なかなかの描写である。
お花が目を覚まして起き上がると、そこには誰もいない。お花に添い寝した男と見えたのは「枕上に置きたりし【?】にてぞ有けり」。この【?】の部分は『実録四谷怪談―現代語訳『四ッ谷雑談集』 江戸怪談を読む』では仮に「火塩」という字を置いておいたが、底本では判読不能で、明治時代の翻刻本『今古実録四谷雑談』では「火鉢」、『近世実録全書』では「瓦焼」とするが、この場面は初夏の設定だから季節外れの感じがする。ただ、「火」という字に見えるものがあるというだけだ。いずれ底本の校訂作業をする研究者がいればぜひ解明していただきたい。
ともあれ、女房に添い寝する男に見えたものは錯覚だったわけだ。で、伊右衛門はどうしたかというと、大いに呆れた(大にあきれて)というのだ。拍子抜けした感じだろう。この場面をもし歌舞伎でやるなら、ここは松本幸四郎で見てみたい。
たった今、間男め浮気女め二つに重ねて四つに斬ってやろうとしていたのである。それが目の錯覚だった。間の抜けた話である。
「お花、おまえ、何か変な夢でも見てやしなかったかい」
「いいえ(何言ってんのこの人)、夢も見ていませんし、変な気分にもなっていません(せっかくぐっすり寝ていたのに…)」
伊右衛門は返す言葉もなく、とっさにこしらえた夢物語をしてその場はごまかした。
この場面は、伊右衛門のモデルになった人物の身の上に実際に起きた事柄だったかというと、そうではないような気がする。モデルとなった人物の周囲で、彼に対する妬みを含んだ噂話が語られたというところまでは有りそうなことだと思うが、迫真の心理描写をもって語られる錯覚からあやうく妻を殺すところだったという話は、これは先行する類似の事件があって、それをはめ込んだような気がするのである。
この場面は次の言葉をもって締めくくられている。

是も偏にお岩が恨より起りて如何にもして此家を絶さんとするにてぞ有んと後こそ皆人々も思ひ知れけり

これもひとえにお岩が恨みによって起こったことで…と後になって人々も思い知ったのであったと、つまりそのように思い知ったのは伊右衛門本人ではなく伊右衛門についての噂を語る人々なのである。錯覚か悪夢かによって伊右衛門が錯乱する話も語り手は伊右衛門自身ではないのではないか。これも噂話と同格のものとしてとらえた方がよいだろうと思う。
それにしても、物語のなかの伊右衛門は冷静沈着なのはいいが、もう少し妻お花と打ち解けて話した方がよかったのにと思わないでもない。無口にすぎる。この点をとらえて性格の悲劇として四谷怪談を描き直したのが京極夏彦嗤う伊右衛門』だが、まさにそのことが『雑談』のこの後の展開にもかかわってくる。
それはともかく、「田宮伊右衛門屋敷不思議有事」はここまでが前半で、後半ではいかにも怪談らしい事件を描くのだが、それについては後日あらためて書く。