Web評論誌『コーラ』37号のご案内
寄稿させていただいているWeb評論誌『コーラ』37号が発刊されたのでご案内します。
私の〈心霊現象の解釈学〉は、ベルクソン『道徳と宗教の二源泉』の仮構機能を題材にしてベルクソンにおける幽霊の理論についてざっくりと書きました。本題からすると少し遠回りしているように見えるかもしれませんが、やはりここを踏まえないと次に進めないところでした。
-------以下<転載歓迎>ですので、ご紹介くださいませ。----------
◆Web評論誌『コーラ』37号のご案内(転載歓迎)■■■
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●連載:哥とクオリア/ペルソナと哥●
第50章 錯綜体/アナロジー/論理(その2) http://homepage1.canvas.ne.jp/sogets-syobo/uta-50.html
第51章 錯綜体/アナロジー/論理(その3) http://homepage1.canvas.ne.jp/sogets-syobo/uta-51.html
中原紀生
《かつては歌というものは、記憶のためのものだったのだろう。叙事詩と呼 ばれる、歴史を残すための記憶代わりに歌い継がれてきたものに違いない。 だが、やがてそれは変質してゆく──「その時何が起きたのか」ではなく、 「その時何を感じたか」が歌われるようになったのだ。人間がつかのまの生 のあいだに体験する、普遍の感情、普遍の心情を。》(恩田陸『蜜蜂と遠 雷』) ■夢、文字以前の世界の記憶 まず、先付の話題から。 縁あって、ある事業家の呼びかけで始まった、持続可能な未来社会の構想 とその実践をめざす人々の集いに加わり、まず初年度のプログラム(構想篇) として企画された研究会、具体的には、能楽師の安田登さんを講師に招き、 炎天下の京都は建仁寺の塔頭・両足院にて催された座学と実習(能の舞の極 めて初歩的な手ほどき)、そして祇園花見小路の小料亭に場を移しての懇親 会に参加する機会を得ました。 (Webに続く)http://homepage1.canvas.ne.jp/sogets-syobo/uta-50.html
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●連載〈心霊現象の解釈学〉第15回● 幽霊の理論 http://homepage1.canvas.ne.jp/sogets-syobo/sinrei-15.html
広坂朋信
幽霊は心霊学の特権的な対象である。幽霊の定義には歴史的な変遷、文化 的な差異があり、それについては、例えばJ=C・シュミット『中世の幽霊』 (みすず書房)や最近では小山聡子・松本健太郎編『幽霊の歴史文化学』 (思文閣)などの研究があるが、私は、幽霊とは「死んだ人の幻」であると 定義する。比喩として人以外の幽霊もありえるが、私の考えでは、その原型 はやはり人のかたちをした幻である。 ■単なる経験の対象としての幽霊 幽霊についてあらためて考えてみる。日本語でいう「幽霊」は、死霊とも 亡霊ともいう。死霊も亡霊も死んだ人の霊という意味である。 霊魂というものは、人の生命活動や意識活動の実体であると考えられてい る。しかし、幽霊を言葉通りに死者の霊魂だとして厳密に考えようとすると、 心身問題や他我問題のような不都合が起きる。そこで、この幽霊というもの を、観念的に生命活動や意識活動の実体である霊魂だとはせずに、経験にあ たえられるままに人の姿のことだとしておく。 経験の対象としての幽霊とは、死んだ人の幻である。こう言ったからとい って幽霊に出会うという体験のリアリティを否定したことにはならない。幻 とは見たり聞こえたりしているのに触れることができない、あるいは、たっ た今まで触れることさえできたのに気がつけば跡形もなく消えてしまう、そ ういう現象をいうのである。 想像してみてほしい、もし幽霊が幻でないとしたら、どうなるだろう。 (Webに続く)http://homepage1.canvas.ne.jp/sogets-syobo/sinrei-15.html
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●連載「新・玩物草紙」● http://homepage1.canvas.ne.jp/sogets-syobo/singanbutusousi-41.html
寺田 操
鳥瞰図 6月の北大阪地震、7月の大雨に、8月の逆走台風、9月には強風と高波台 風。日常の場所で頻繁に異常事態が起きた夏だった。スマートホンへの地震 発生や大雨による避難勧告なども出た。危険個所と避難場所を示した防災マ ップを手元から離せない日々だったが、平面図では山の高さや河川の幅、路 線バスや電車のラインも不明だ。避難判断の目安にする視覚的な情報に乏し い。簡単な鳥瞰図のような工夫が欲しいと切実に思った。 本渡章『鳥瞰図』140B/2018・7・18)は、江戸時代の歌川広重 から21世紀の絵師までを網羅して、日本全国の鳥瞰図約100点を収録し たパノラマの世界だ。「鳥瞰図」とは、風景を鳥の目のように高い所から俯 瞰して描いた広大なパノラマ(鳥目絵とも)だ。「大正の広重」と呼ばれた 鳥瞰図の絵師・吉田初三郎は、浮世絵の伝統を「鳥瞰図」によみがえらせた いという使命感を抱いていた。空前の鳥瞰図ブームが起きたのは、大正から 昭和にかけての飛行機の出現と鉄道旅行ブームの背景もある。吉田をはじめ とした絵師たちは、観光案内、町絵図、路線図など「遊覧」をキーワードに 鳥瞰図の方法を取り入れたモダンでユニークな地図を描いた。 (Webに続く) http://homepage1.canvas.ne.jp/sogets-syobo/singanbutusousi-41.html
-------<転載歓迎>は、ここまで。-----------------------------------
Web評論誌『コーラ』36号のご案内
少しご案内が遅くなりましたが、駄文を寄稿させていただいているWeb評論誌『コーラ』36号が発刊されました。
今回は心霊スポットについて形而上的屁理屈をこねてみました。
というのも、昨年の暮れに、末席に居座っている怪異怪談研究会のイベントで、現役の心霊スポットの第一人者、吉田悠軌さんと対談することになってしまったものですから、中年ボケの脳みそに喝を入れるために、ちょっとがんばってみました。
がんばった甲斐がなかった記録→ホラー・アカデミア第六夜https://togetter.com/li/1299302
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●連載:哥とクオリア/ペルソナと哥●
第48章 錯綜体/アナロジー/論理(その2)
http://homepage1.canvas.ne.jp/sogets-syobo/uta-48.html
第49章 錯綜体/アナロジー/論理(その3)
http://homepage1.canvas.ne.jp/sogets-syobo/uta-49.html中原紀生
前章で抜き書きした文章(『日本のレトリック』)の中で、尼ヶ崎彬氏は、
「縁語」をめぐって次のように書いていました。「一つの語を一つの鏡に喩え
てもよい。無数の鏡が一見無秩序に置かれているように見えながら、一筋の光
が射しこむ時、たちまち鏡は互いに光を反射して、数えきれぬ光の糸が空間の
中に光芒の伽藍を敷設する。銀河のようなこの光の領域が一首の和歌の世界な
のである。」
これを読みながら、私が連想もしくは想起していたのは、市川浩氏の「星雲
状複合体(ネビュラス・コンプレックス)」という語であり、また、かつて
(第10章で)引用した「言葉と音楽」(『みる きく よむ』所収)で、レ
ヴィィ=ストロースが忘れられた思想家・シャバノンの音楽理論を「(ボード
レール的)万物照応の原理を大きく広げるような、ひとつのみごとなイメー
ジ」と讃え、「(意識の類似物としての)蜘蛛の巣のイメージ」に喩えていた
ことであり、そして、以前(第7章で)「伝導体[conducteur]のうちに無数
に張り巡らされた、蜘蛛の糸や脳神経細胞を思わせる導管[duct]を伝って何
かが、たとえば「情報」が縦横無尽に往来する…伝導という「推論」の運動」
云々と書いた、自分自身の文章でした。
(Webに続く)http://homepage1.canvas.ne.jp/sogets-syobo/uta-48.html----------------------------------------------------------------
●連載〈心霊現象の解釈学〉第14回●
心霊スポット――通過儀礼と神話的暴力
http://homepage1.canvas.ne.jp/sogets-syobo/sinrei-14.html広坂朋信
「古代ギリシアては、冥府へ下る入口だといわれる場所がいくつもあった。
私たちが目覚めているときの生活もまた、いくつもの隠された場所に冥府へ下
る入口のある土地であり、夢が流れ込んでくる目立たない箇所に満ちてい
る。」(ベンヤミン「パリのパサージュ2」、『ベンヤミン・コレクション6断片の力』ちくま学芸文庫より)
心霊スポットについては、以前この「コーラ」にも書かせていただいたよう
な気がしていたが、今バックナンバーを確かめると私の思い違いであった。
近年、小野不由美『残穢』(新潮社)の映画化(竹内義洋監督、2016)、川奈まり子『実話怪談 出没地帯』(河出書房新社、2016)、吉田悠軌『怪談現場東京23区』(イカロス出版、2016)、澤村伊智『ししりばの家』(角川書店、2018)、松原タニシ『事故物件怪談 恐い間取り』(二見書房、2018)などのヒットもあってか、すでに引退した心霊スポット・ライターの私にも久しぶりにお座敷がかかって、人前で何か話さなければならないことになった。
その心覚えのために、あらめて心霊スポットについて考えていることをここに書き出
しておく。
(Webに続く)http://homepage1.canvas.ne.jp/sogets-syobo/sinrei-14.html----------------------------------------------------------------
●連載「新・玩物草紙」●
眼鏡/投壜通信
http://homepage1.canvas.ne.jp/sogets-syobo/singanbutusousi-40.html寺田 操
《女の眼鏡はごくかすかな音をたてて割れました。》と書きだされた武田泰
淳「めがね」『ニセ札つかいの手記』(中公文庫/2012・8・25)で
は、近眼同士の男女の恋の行方に「眼鏡」が影を落とした。女は眼が悪いの
に、男の前でも仕事場でも眼鏡はかけていなかった。男のほうは、《眼鏡は命
から二番目に大事なもの》というほど強度の近眼だ。二人が一泊旅行した先の
岩苔の公園で、珍しくサックから眼鏡をとりだした女は、風景を見まわしてか
ら男との間のコンクリートのベンチに眼鏡を置いた。小さな事件が起きた。男
が不注意に動かしたトランクの下で薄いレンズは砕けてしまったのだ。眼鏡を
買ってあげると男は約束したのだが、女は病に倒れ……。
(Webに続く)
http://homepage1.canvas.ne.jp/sogets-syobo/singanbutusousi-40.html
老母の怖い話
暑かった夏の思い出として、介護施設に短期入所した老母の怖い話を一つ。
ちなみに、これは高齢者福祉の問題点が云々というたぐいの話ではないことをあらかじめお断りしておく。
1992年に堀田善衛は、随筆「アルハンブラの思い出」で、暑いことで有名なスペインの夏を回顧している(堀田善衛『
天上大風―同時代評セレクション1986-1998 (ちくま学芸文庫)』所収)。堀田によれば、スペインの夏は暑くて、「室内温度が三十度を越えると、もはや昼寝以外の一切の行動が出来なくなる」のだそうだが、今年の日本の夏は連日と言っていいほど30度以上の日が続いた。
この猛暑のなか、昨夏七月父が亡くなり老母が一人で暮らす団地のエアコンが壊れた。
暑さが本格的になる前の7月9日のことだったが、放っておけばとんでもないことになるのは目に見えていたので、すぐに近所の電気店に飛んでいった。
エアコンはいくらでもあるのだが、取り付ける業者が不足していて設置は3週間先になるという。これからいよいよ暑くなるというのに! 背筋がゾッとしたが、本題はまだ先である。
7月末まで扇風機と氷嚢だけというのも心もとない。とりあえず、日中はできるだけ老人介護施設のデイサービスに行ってもらい、日曜やデイサービスのない日の昼間は私が冷房の利いたところに母を連れ出して暑さをしのいでもらった。
そうこうしているうちに、デイサービスに行っている施設でショートステイが利用できることになり、これ幸いとエアコンが設置されるまでの最後の1週間は短期入所させてもらった。おかげで老母は、冷房の利いた部屋でぬくぬくと寝ていられたのである。冷房でぬくぬくと、というのは形容がおかしいがまあいいや。
これからが本題である。
先日、老母の介護担当者との打ち合わせがあり、ケアマネージャー、ヘルパー、訪問看護師の諸氏と話し合いがもたれた。
その折に、この夏の暑さの話になり、エアコンが入ってよかった、岐阜の病院ではエアコンの故障した部屋に寝かされていた老人が五人も亡くなったそうだ、ショートステイも利用できてよかったという話の流れで、ケアマネージャー氏が「ショートステイはいかがでしたか」と母に尋ねた。
すると母はこう言った。
「涼しい部屋で寝かせてもらって、ほんとうに命拾いした。有り難かった。ただ、夜は誰かがのぞきに来るので眠れなかった」。
その話は聞いていた。安全確認のために施設の職員の方が見回りに来たのだろうと思っていたので、そう言うとケアマネさんをはじめ、その場にいた皆さんがニコニコとうなずくなか、母は妙なことを言い出した。
「違うの。寝ているとカーテンの隙間から靴だけ見えるの、赤い靴や白い靴や黒い靴が」。
看護師さんが妙な顔をした。
「それだけじゃなくて、カーテンの上からのぞきこむ人がいるの。おかしな人ねえ」。
ヘルパーさんが「それって怖い話じゃ…」とつぶやいた。看護師さんもうなずいた。
一拍置いて、鈍感な私にもわかった。
母が短期入所した介護施設の玄関には靴箱があって、来訪者はスリッパに履き替える。職員はたいていズック靴をはいている。入所者は転倒防止用のかかとのあるサンダルのような上履きをはいている。
母の言う「赤い靴や白い靴や黒い靴」とは、婦人もののヒールのある靴のことだろう。夜中の施設にそんな靴を履いている人はいないのだ。
そして、カーテンの上からのぞきこむ顔。
母の寝ていた部屋は、病棟の4人部屋のようなところで、通路に面した足元と側面はカーテンで仕切られていた。
カーテンは1メートル80センチある私の背丈より高かった。
入所者はみな後期高齢者で、車椅子の人も多い。母と同室の人はみな小柄なお婆さんである。施設の職員で2メートル近い身長の人はいない。
パーキンソン病に伴う幻覚だろうか、それとも…、と、介護関係者と息子が怪訝な顔を見合わせていると、母はニコニコしながら言った。
「だからね、できるだけ、住み慣れた自分のうちで頑張ろうと思うの」。
前向きな言葉に、一同ホッとして、そうですね、がんばりましょうとか言っていると、母が話をまとめた。
「ここならお父さんもいて安心だし」。
笑っていたのは父の遺影だけだった。