麻婆豆腐、餃子、トマトのサラダ、大根の味噌汁。
妻は、電気炊飯器でケーキを作ろうとして悪戦苦闘していた。うちの電気釜では熱が弱いようで、三回目に何とかかたちになった。
毎年、クリスマスの御馳走は妻が作ってくれるのが恒例になっているので、今夜の私は台所を明け渡して、ティム坊やのように待っているだけだ。

藤田省三『精神史的考察』メモ「或る喪失の経験」二

さて、藤田省三「或る喪失の経験」、ようやく第二節だ。
この節は簡単にすませたい。というのも、少し先回りしておけば第三節で藤田自身が次のように整理しているからだ。

成年式についての話がついつい如何にも体系的な説明のようなものになってしまったのは、私としてもいささか心外であった。もっと飛躍を含んだ端的な断片で言い得て短く走り切るのでなければ、私にとってのあるべき姿には程遠いのだけれども、もう致し方なくこのまま進行を急ごうと思う。要するに、おとぎ話の遥かなる背後には成年式の社会史的経験があって、それは神話と英雄物語から動物譚や笑劇などにおよぶいくつもの型の物語りの構造的塊りを包み込んでいたのであった。

ここで「おとぎ話」と言われているのは「親指小僧」型冒険譚のことで、この「或る喪失の経験」では他のタイプの物語は考慮されていない。
さて、第二節の趣旨は上記のように藤田自身が要約してくれているので、それ以外の面を拾い読みしていく。

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