死者を冒涜するいくつかの方法2

今度は広島の原爆死没者慰霊碑の文字を傷つける者が現れた。7/26
時事は情報が限られているので触れたくないのだが、この間書いたことに関係することなのであえて一言。
慰霊碑に彫られた「安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから」の碑文のうち「『過ち』という文言が気に入らなかった」らしい。詫びる必要などない、間違ったことなどしてはいない、ということなのだろう。私は犯人に対して無礼にもこう憶測する。「詫びる必要などない、間違ったことなどしてはいない」の主語は、実は日本ではなくて、「俺」なのではないのか?と尋ねてみたい気がする。
原爆慰霊碑が「過ちは繰返しませぬから」と誓っている当の相手が誰なのか、によって、この行為の評価は分かれる。前にある文が「安らかに眠らせてあげて下さい」であれば、これはアメリカに対して、もう二度と原爆を落とさないで下さい、と懇願していることになる。そうであれば「過ち」とは何事か、というのはわかる。原爆投下の非はアメリカにある。さっさと詫びてもらいたいものだ。
実際、別の記事(共同通信)によれば、犯人は「過ちを犯したのは日本の一般市民ではなく、原爆を投下した米国ではないか」と言っているようだが、それでは「過ちは繰返しませぬから」という誓いの主語を読み誤っている。
碑文には「安らかに眠って下さい」とある。これは原爆によって非業の死をとげた死者に対して呼びかけている文言である。したがってこの「過ち」とは、あなたがたをかくも無惨に死なせたあの戦争を止められなかった「私たち」(実際には書かれていない主語)の「過ち」である。
「過ち」を犯した書かれていない主語「私たち」とは誰か。その「過ちは繰返しませぬから」と誓っているのであって「繰返させませぬから」となっていないところに含蓄がある。もし「繰返させませぬから」と言うのであれば、それは自ら手を汚していない立場からの物言いであろう。「戦時中もずっと戦争に反対していました」と言える人たちだけが「繰返させませぬから」と言い得る。しかし、多かれ少なかれ戦争に荷担した者はそうは言えない。やはり、少なくともかかる事態を招くにいたった流れを止められなかったことへの悔恨をこめて「過ちは繰返しませぬから」としか言えない。
私にはそう読めるし、これは何も私一人の妄想的解釈ではないだろう。
さて、犯人はアメリカの原爆投下による死者にどう言い訳する気だろう。