吉原の怪談

故・杉浦日向子氏を偲んで、吉原の怪談を。
江戸時代に栄えた吉原遊郭、その所在地は転々としたようだが、以下に書き留めておく話は、現在の通称吉原、台東区千束のあたりに落ち着いてからのことである。
京町の人魂

出典

「隣壁夜話」(りんぺきやわ)『洒落本大成 第9巻中央公論社,1980,p324〜327。安永九年東武下谷一帰坊著述。

「隣壁夜話」序

隣座敷の客の中に有髪なる宗匠らしき老人有しが当世の女の風義をかたるにぞいか様源氏物語雨夜の品定の段にことならず面白さに耳をすまして襖ごしに聞に(中略)
今の世に正直者と化物はないにしておけど しばしば女に付て奇怪の咄しあれば今女の善悪を語りし序にとて怪談に及ぶ とかくかしこきも愚なるもやめ難きは此まどひ也と昔の大通が徒然草にい々しも去ること也 兔にも角にも御用心あるべきは女也恐ろし恐ろしと云ながら怪談を始めける儘猶面白くて隣づから鼻紙の端に書留侍りぬ

要するに『源氏物語』の雨夜の品定めの真似事をしていたら脱線して怪談話で盛り上がったということである。

「京町の人魂」概要

下谷あたりの武家、左太郎(二十才)は、親に早く死なれ、家には親の代からの老僕が一人という気ままな境遇で、勤めの他には廓通いで遊び暮らしていた(というからには旗本クラスか、それにしては家来が一人だけというのは不審)。
この左太郎は吉原の鈴木屋とかいう女郎屋の遊女、立花という名の契情(傾城)に馴染み、将来を約束しあっていた。ところがあるとき、上司(組頭)から断りにくい縁談をもちかけられ、心ならずも他の女と結婚するはめになってしまう。困った左太郎は、ともに廓で遊んだ友達、俳諧宗匠・春叔と長者町辺の質屋の息子・喜七に立花への言い訳の使者を頼んだ。
春叔・喜七の両人は日暮れ前に京町の鈴木屋の店先に着き、立花に面会を申し込んだ。ひとしきりの世間話の後、両人は立花へ左太郎の縁談のことを切り出し、彼の立場上断り切れなかったことなど、言い訳につとめたが、立花の怒りは物凄かった。

其時立花火鉢にあたりいしが ハァットいふてうつむき 火箸を杖につき しばし物もいはずいたりしま々 そばより両人 是々さ様に取のぼせてはあしかりなん先心をしづめ給へ とゆすりければ 立花は顔ふり上 残念なる と云て うしろにありし箪笥の紋どころは左太郎が紋付しが其紋所へ火箸をぐさと突立けり 立花顔色只ならず恐ろしや火箸根元までつつ立たり

立花の態度に両人は言葉もなく鈴木屋を出て、とりあえず左太郎にこの状況を伝えようと帰路を急いだ。大雲寺(大音寺カ)前にさしかかったときのことである。
「不思議や 京町の下の方より火の玉飛出 両人が上へ向ひ飛来ル 折ふし小雨ふりし故相がささしける上へうつりて 気も魂もきへ 両人は目と目を見合 無言にて走り出し」ようやく茶屋町にたどりつき、カゴを頼んで下谷の左太郎宅前に着いたのは夜更けだった。もはや人通りもない時間なのに左太郎宅の門前に「何やら人の影のやうにひらひらと白き物」を見た両人が左太郎の寝室に急ぐと、左太郎は気を失っていた。
両人に介抱されて目をさました左太郎がいうには、夢に立花が現われて恨みを述べたという。両人は京町での立花の様子を話し、そのまま左太郎宅に泊まった。
春叔・喜七の両人が鈴木屋を出た後、立花は表座敷持ちだったが、格子に手ぬぐいをかけ、首を吊って死んでいたという。
さて、その後、左太郎は病気がちになったが、約束の婚礼の日がきたので仲人縁者などが左太郎宅に集まり、輿入れが行なわれた。いよいよ盃事という段になって一同が座敷に入ると、白装束の女が一人、先に座敷に来ていた。左太郎が見るとそれは立花だった。一座の人々にどうにも説明のしようがなく下を向いていたが、人々はどこかから手伝いに来た女中かと思ったようで、滞りなく儀式は進んでいく。
花嫁が左太郎に盃をさそうとしたその時、立花が中に入ってそれを奪い取り、恐ろしい形相で花嫁をにらみつけた。花嫁は気を失い、一座は大騒ぎになった。医者が呼ばれ、花嫁は実家に帰された。その後、花嫁、仲人、左太郎とも、半年のうちに残らず死に絶えた。
この話は「語るも罪深きむかしがたりと老人かたりき」としめくくられ、語り手の「有髪なる宗匠らしき老人」が物語中の春叔その人であることをにおわせている。

参考

吉原町西河岸倡家の女、労疫にて危篤に及びたるとき、人だま出て飛去る。この時戸外を行く人あり。これを見て刀を抜て人だまを切りたり。是よりしてかの病平愈せしと云。理外の談なり。(松浦静山甲子夜話1』、p315)

引用文中「労疫」の「疫」の本字は病だれに祭。