伊香保神社の祭神

ここのところ働きづめだった妻のご機嫌を取るため、群馬県伊香保温泉に一泊旅行をしてきた。
最近の旅行はたいてい仕事とセットだった(遠隔地での用談のついでに観光地を経由)から、行楽のみの旅行は、貧しい私たちには久しぶりの贅沢である。
面白かったことはいくつかあったが、気になったことをひとつ。
温泉街の名物である長い石段を登り詰めたところが伊香保神社である。神社の鳥居の右手前には薬師堂がある。明治以前は一体のものであったろう。
さて、神社に行くと由来を書いた看板があり、主祭神大己貴神となっている。いわゆる大国主命である(別の神格だという説もあるがここでは拘泥しない)。ほかにも幾柱かの神が列挙されているが、どれも記紀神話ゆかりのものばかり。
そんなはずはあるまい、と思った。元来は、ここ上州の古い神を祀っていたはずだろう。
伊香保神社は伊香保の山の恵みを神格化して、温泉の守り神としたのだろうから、「伊香保」が神名につくはずだ。祭神に伊香保の「い」の字もないのは、明治の頃の神仏分離のついでに祭神までもすり替えたのだろうとにらむ。
案の定、土地の観光案内のひとつには、伊香保神社は温泉大明神を祀っている、とある。また、別のパンフレットには、伊香保姫を祀っているともある。そら見たことか。
帰宅して『神道集』をめくってみると、「伊香保大明神の事」と題された中世の説話があった(p.134)。

神道集 (東洋文庫 (94))

神道集 (東洋文庫 (94))

ヒロイン伊香保姫をめぐる大ロマンである。
もちろん、中世(おそらく室町時代)の説話だから、仏教的に脚色されているし、古代の伝説そのままではないだろうが、上州に縁もゆかりもない出雲神話大国主命よりはよほどマシだ。
どうも祭神にルーズな神社が多すぎるように思う。
柳田国男か誰かも、これでは古来の信仰が失われると、どこかで嘆いていなかったろうか。