味気ない生活

妻は焼き魚にポタージュ・スープ。ほかにレタスとトマトのサラダ、ベーコン・キャベツ・エリンギのスープ(前夜の残り物)、冷や奴。
痛風になってからというもの、食事制限のため使える食材が限られてしまうため、以前のように晩ご飯づくりに熱心になれない。
最初のうちは妻用と自分用の二つの献立を整えようとしたが、やってみるととても無理。手間がかかるだけでなく、食費がはね上がってとても続けられない。
次に、すこぶる健康な妻用にちゃんとしたものを1.5人前つくり、自分はその中から肉類などをのぞいて食べるということをしていたが、これには妻から、肉が多すぎるとの苦情が来た。
いろいろ試行錯誤しているうちにすっかり疲れてしまって、ついに昨日は妻に「好きなもの買って自分でつくって食べて」と頼んだ。そうしたらこうなった。
食べたいものが食べられないと、お米をとぐのも億劫に感じる。買い物に行っても、アレもダメ、これもダメ、と溜め息をつくことをくり返しているうちに、食べ物への関心がだんだん薄れてくるのがわかる。
まあ、今まで食べ過ぎていたのだからちょうどいいようなものだが、私のつくるものを美味しい美味しいといって食べてくれた妻と過ごしてきたこれまでの暮らしを思うと、なんだか家(というか、台所)の中に自分の居場所がなくなったような気がして淋しくなる。
比喩ではなく、実に味気ない生活である。
今夜はどうしようかと思うと溜め息が出る。