30万はてなポイントに王手

わが社のような業種は、政府の不況対策の対象外であることがわかり、何としてでも自力救済しなければならない。
10万、20万ではもうどうしようもないところまで追い込まれているのである。
http://d.hatena.ne.jp/toled/20081128/p1

一等賞:南京大虐殺否定論への容認を見つけた人→30万はてなポイントを進呈します。

30万はてなポイントを進呈!
歴史修正主義一般よりも、南京大虐殺否定論の方が賞金金額が高い。三倍である。
もうこれしかない。
だが、これまでのように手元にあるデリダの著作を闇雲に読んでも期待した結果につながらないだろう。成果をあげるには、やはり戦略というものが必要である。
ところで、解説文などによると、デリダはある時期に「倫理-政治的転回」をとげたと言われている。それに対して、スタイルこそ変わったが主張は初期から一貫しているという説もある。どちらが正しいかはこの際どうでもよい。『法の力』や『死を与える』のように、正義や責任ということを言い出す前であれば、ことによると何かあるのかもしれないではないか。
それではデリダの「倫理-政治的転回」とはいつ頃のことか。通説によると、どうやら1990年頃のことのようだ。それならば調査対象を1990年以前の著作に限ればよいではないか。
Wikipediaによれば、デリダの1990年以前の著作は以下の通り。

La Voix et le phenomene: introduction au problème du signe dans la phénoménologie de Husserl (1967)
『声と現象』 理想社筑摩書房
De la grammatologie (1967)
『グラマトロジーについて』 現代思潮社
L'ecriture et la différence (1967)
エクリチュールと差異』 法政大学出版局
Marges, de la philosophie (1972)
『哲学の余白』 法政大学出版局
La Dissémination (1972)
『散種』
Glas (1974)
『弔鐘』
La Carte postale, de Socrate Freud et au delà (1980)
『絵葉書 I─ソクラテスからフロイトへ、そしてその彼方』 水声社
Parages (1986)
『海域』
Feu la cendre (1987)
『火ここになき灰』 松籟社
Psyché, Inventions de l'autre (1987)
『プシュケー──他者の発明』
Mémoires, pour Paul de Man (1988)
『メモワール、ポール・ド・マンのために』
Limited Inc.' (1988)
有限責任会社』 法政大学出版局

懸賞金応募の条件によれば翻訳のないものは無視してもよいはずなので、
『声と現象』
『グラマトロジーについて』
エクリチュールと差異』
『哲学の余白』
『絵葉書 I─ソクラテスからフロイトへ、そしてその彼方』
『火ここになき灰』
有限責任会社』
以上、7冊だけが対象となる。
別の文献目録(「現代思想」誌、2004年12月号「緊急特集ジャック・デリダ」p256、宮崎裕助氏作成「ジャック・デリダ著作目録」)を見るともっとあるのだが、容易にアクセスできる主著といえばこんなものだろう。
かくして膨大に思えたデリダの著作もWikipediaを使うなどして絞り込めば対象範囲はグッと狭まる。
このように、段取りと手順を考えて仕事に取り組めば、当初不可能に思えた難事業も決して無理な話ではなくなるというものだ。
しかも、知ったかぶりと思われるのを恐れて内緒にしてきたが、上記7冊のうち『声と現象』、『グラマトロジーについて』、『エクリチュールと差異』は学生時代に読んでいた。何が書いてあるのだかは皆目見当がつかなかったが、歴史修正主義ホロコースト否定論や南京大虐殺否定論は取り上げられていなかったように記憶している。学生時代に勉強はしておくものだ。
そして、『哲学の余白』は今年になって読んだ。やはり何が書いてあるのだかは皆目見当がつかなかったが、歴史修正主義ホロコースト否定論や南京大虐殺否定論は取り上げられていなかった、と実感した(呆け中年なので見落としがあるかもしれないが、その際は発見者に快く懸賞金獲得の権利をお譲りしたい)。
残る課題は『絵葉書 I─ソクラテスからフロイトへ、そしてその彼方』、『火ここになき灰』、『有限責任会社』のわずか3冊である!
しかも幸いなことに3冊とも自宅近所の図書館に所蔵されていた。
もはや賞金獲得に王手をかけたも同然である。