交換的正義と配分的正義

先日、ある講演会で、交換的正義と配分的正義という言葉を聞いて、ありゃアリストテレスだったよなあと『政治学』や『ニコマコス倫理学』をめくってみたけれども、ここのところ忙しくて読書に打ち込めず、両者の位置づけがよくわからなかった。
それならばお手軽な新書の解説はというと、岩田靖夫いま哲学とはなにか (岩波新書)』では並列的に記されており、学生時代以来、手元に置いて便利してきた山本光雄『アリストテレス――自然学・政治学 (岩波新書)』では交換の正義を「或る意味では、配分の正義の一種とも見ることができよう」と位置づけているが、これもなんだかよくわからない。そこで、アリストテレスならもしや神学者の方が詳しくはないか、と気づいて、都合よく書店にならんでいた稲垣良典氏の新刊を開いたら、ありがたいことに手際のよい解説が出ていた。

トマス・アクィナス 『神学大全』 (講談社選書メチエ)

トマス・アクィナス 『神学大全』 (講談社選書メチエ)

適法的正義よりも高次の正義は、「法の下なる」正義ではなく、むしろ「法に内在する」正義であって、それをトマスは配分的正義(jusutitia distributiva)と呼ぶ。「配分」正義と言うと、財貨、利益あるいは負担などを、定められた規則・基準に従って各人に配分することに関わる正義であるかのように誤解されているが、実は、何らかの基準にもとづいて確定されたもの、つまり各人の権利を斉一的かつ厳密に配分するのは、むしろ交換正義(jusutitia commutativa)とも呼ばれる適法的正義にほかならない。他方、配分正義とは、社会全体を構成する各々の成員に、各々が真にそれに値するものが与えられることを可能にする規則・基準としての法を、社会全体ないしその善を考慮に入れてつくりだすことに関わる、というのがトマスの立場であった。言いかえると、配分正義は各人に帰せられるべき権利を正しく確定する法、その意味で「正しい」法の創出に関わる正義である。(稲垣、前掲書、p171)

もちろん、これはトマスによるアリストテレス解釈の稲垣氏による解説だが、今日明日の仕事に追われる私には、まことにありがたく、アリストテレスを読み抜いたトマスに、また『神学大全』の邦訳者たる稲垣氏に異を唱えるつもりなど毛頭ない。ただただ先哲の教えを拝聴するのみ。

「正義の寓意」

コメント欄で、交換的正義と配分的正義をモチーフにした絵画があることを教えていただいた。
アンブロージョ・ロレンツェッティの大作『善政の寓意』に描かれている「正義の寓意」http://it.wikipedia.org/wiki/File:Ambrogio_Lorenzetti_002.jpg