シュルレアリスム展

一昨日は姪(妻の姉の娘)が上京してきたので、みぞれの降るなか銀ブラをして昼食を取った後、乃木坂の国立新美術館に「シュルレアリスム展」を観に行ってきた。
http://www.sur2011.jp/
地下鉄の駅から直接入り口まで行けるため、天気の悪い日にはたいへん便利。
エルンスト、マグリット、ダリ、キリコら定番の画家の作品が展示されていて、そのなかではエルンストが一番目立っていたような気がした。キリコの作品が少なかったのはちょっと残念。マン・レイの写真やデュシャンのオブジェ、ジャコメッティの彫刻もあって、盛りだくさんの展覧会だった。
私の関心からは、今回はブローネルとマッソンが気になった。上に定番の画家として名前を挙げた面々が、例えばマグリットやダリの絵は、いかにもマグリットであり、いかにもダリであるのに対して、ブローネルとマッソンの絵は、いかにもシュルレアリスムの絵画という感じがした。ブローネルとマッソンが個性的ではないという意味ではない。ただ、この二人の絵には、シュルレアリスムの芸術運動としての熱さというか、生々しさが表れているように思えたのである。
展示は、パリの一画でダダの影響を受けた若い画家と詩人がわけのわからんことをやり始めたところから、第二次大戦をはさんで、戦後、アメリカで受容されていくところまでを時代順に眺めることができるようになっていた。戦後のシュルレアリスムはもはや実験ではなく、ある種の様式美になっていることにも気付かされた。デルヴォーなどは、それだけで見るとドキリとするが、シュルレアリスムの流れの中に置かれると、ああ、このあたりからシュールリアリズムになっていくんだな、と思った。
全体として面白かったが、不満が二つ。
ブルトンら文学者たちの刊行した雑誌や詩集も展示されていたのだが、ガラスケースのなかで表紙だけ見せるというのは芸がない。なかに何が書いてあるか、一部抜粋して訳文を紹介してほしかったし、レイアウトや挿絵がどうなのかも見たかった。
もうひとつ、アメリカへの影響までフォローしたのだから、あと一息、日本への影響も見せてほしかった。福沢一郎がエルンストによく似た絵を描いていた。マッソンの絵には古沢岩美とよく似た構図のものがあった。もちろん、岡本太郎もいる。もっと自分に引き寄せて言えば、「ウルトラマン」に出てきたブルトンという怪獣、あれはたしかアンドレ・ブルトンにちなんで命名されたと聞いている。円谷プロから張りぼてでも借りてきて出口にドーンと置いたら楽しかっただろうに。