嗚呼、先生も老いられた

孔子に、聖人とは思えないほど困った発言があるのは、T_Sさんの孔丘先生シリーズでも面白く紹介されている。
http://d.hatena.ne.jp/T_S/20120617/1339865744
元ネタの浅野裕一氏の著作よりも面白いくらいだ。というのも、T_Sさんは『論語』を大胆に現代語訳して、孔丘先生の海原雄山的側面を描き出しているからだ。
今回は範馬勇次郎的外見も指摘されている。
http://d.hatena.ne.jp/T_S/20130210/1360426980
海原雄山と言い、範馬勇次郎と言い、漫画的にはとんでもない親父の代表格である。そのうちT_Sさんが孔子星一徹的側面も描き出すのではないかとひそかに期待している。
それにしても「先生の身も蓋も無いお言葉」に接した弟子たちはどう思っていたのだろう。
これまで師と敬い、父とも慕っていた方が身も蓋も無いことを言うのを聞いて「嗚呼、先生も老いられた」と愕然としたのか、それともこの老人にもまだ利用価値があると思って諂ったのか。
失言する孔子を老人とみなしたのには根拠はない。『論語』に記録されている孔子の言動は、彼が魯の政界で失脚し、官職を離れて在野で教育活動を始めてからのものが多いような印象があるからだ。これも印象論であって根拠はない。
ただ、まともな弟子なら、これまで師と敬い、父とも慕っていた方が身も蓋も無いことを言うのを聞くのはつらかったろうと想像し、嗚呼、先生も老いられたと天を仰いで嘆いた弟子はいなかったろうか、と妄想した次第である。
今、孔子の伝記を調べている余裕がないので怠慢を決め込むが、いずれどなたか賢者がご教示くださることだろう。
他人事ではない。『論語』には「五十而知天命。六十而耳順。七十而從心所欲。不踰矩。」とある。孔子は七十になったら言いたい放題でも規範を逸脱しないと自慢したが、実際はそうではなかったようだ。私は今年で五十になるが、七十を過ぎたら言動は慎重にしよう。