『論語』孔子のビジョン

司馬遷は、『史記』魯周公世家を終えるにあたり「謙譲の礼法は、形は守られてはいるが、その実行はなんと誤っていることだろう」と言った。魯は、周以来の古いしきたりを守ってきたが、それは裏返せば、時代遅れの古いしきたりにとらわれて弱体化した、とも言える。それはすでに魯の建国の祖、周公旦が予言していたことだった。
魯を改革するには、斉の管仲がしたような富国強兵策が必要だったが、当時の魯の代表的な知識人である孔子は、魯の足かせになっていた周以来の儀礼の復活と顕揚ばかりを唱えていた。
しかし、孔子のビジョンは現実味の乏しいアナクロニズムにすぎなかったのだろうか。いや、現実味にはやはり乏しく、アナクロニズムであることも間違いのないことではあるのだが、単なる懐古趣味と切って捨ててもよいものではなさそうな気もする。
なぜなら、もし孔子の説くところが単なる懐古趣味にすぎないのであれば、『論語』にあるように多くの弟子たちがその教えを受けに集まったり、魯の有力者たちが政策について諮問したりするようなこともなかったろう。そこには単に孔子という教育者のもつカリスマ性だけではないなにかがあったと考えた方がよいだろう。
孔子アナクロニズムには、ある種の救済のビジョンが含まれていたのではないかと思う。もし、孔子の提唱するとおり、周以来の伝統的秩序が回復すれば、周礼をかたくなに守ってきた魯は一躍、国際社会の第一等国に返り咲くことになる。これが孔子の説いた救国のビジョンだったのではないか。そうすれば、私利私欲による私闘は一掃され、天下泰平の世が実現する。
しかし、言うまでもないことだが、このビジョンの実現は、天下の諸侯、有力者たちが自らの不利益を顧みずに周礼に従ってくれなければ成り立たない。つまりは他人の善行を期待するほかない点で、いかにも画に描いた餅であり、その理想が実現される可能性はほとんどない。
もちろん、一般論としては、理想というものにはたとえ実現されなくても掲げ続けることに意義があるという側面もあるから、実現不可能だからといってただちに捨て去るべきだということにはならない。それが長期展望の遠大な理想であるのか、中・短期的な政策論であるのか、によって評価の仕方は変わってくる。
論語』には、自らの理想が実現しがたいことを、つまり、自説が国策として諸侯に採用されないことを、孔子がやたら悲憤慷慨する言葉が出てくる。それを見ると、孔子はこれを中・短期の政策論として唱えていたように読める。だとすれば、やはり政策論として言っているのであり、それならば説得力に欠ける、ということになる。