Web評論誌『コーラ』36号のご案内

少しご案内が遅くなりましたが、駄文を寄稿させていただいているWeb評論誌『コーラ』36号が発刊されました。
今回は心霊スポットについて形而上的屁理屈をこねてみました。
というのも、昨年の暮れに、末席に居座っている怪異怪談研究会のイベントで、現役の心霊スポットの第一人者、吉田悠軌さんと対談することになってしまったものですから、中年ボケの脳みそに喝を入れるために、ちょっとがんばってみました。
がんばった甲斐がなかった記録→ホラー・アカデミア第六夜https://togetter.com/li/1299302

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 ●連載:哥とクオリア/ペルソナと哥●
  第48章 錯綜体/アナロジー/論理(その2)
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  第49章 錯綜体/アナロジー/論理(その3)
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  中原紀生
  前章で抜き書きした文章(『日本のレトリック』)の中で、尼ヶ崎彬氏は、
 「縁語」をめぐって次のように書いていました。「一つの語を一つの鏡に喩え
 てもよい。無数の鏡が一見無秩序に置かれているように見えながら、一筋の光
 が射しこむ時、たちまち鏡は互いに光を反射して、数えきれぬ光の糸が空間の
 中に光芒の伽藍を敷設する。銀河のようなこの光の領域が一首の和歌の世界な
 のである。」
  これを読みながら、私が連想もしくは想起していたのは、市川浩氏の「星雲
 状複合体(ネビュラス・コンプレックス)」という語であり、また、かつて
 (第10章で)引用した「言葉と音楽」(『みる きく よむ』所収)で、レ  
 ヴィィ=ストロースが忘れられた思想家・シャバノンの音楽理論を「(ボード
 レール的)万物照応の原理を大きく広げるような、ひとつのみごとなイメー
 ジ」と讃え、「(意識の類似物としての)蜘蛛の巣のイメージ」に喩えていた
 ことであり、そして、以前(第7章で)「伝導体[conducteur]のうちに無数
 に張り巡らされた、蜘蛛の糸や脳神経細胞を思わせる導管[duct]を伝って何
 かが、たとえば「情報」が縦横無尽に往来する…伝導という「推論」の運動」
 云々と書いた、自分自身の文章でした。
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 ●連載〈心霊現象の解釈学〉第14回●
  心霊スポット――通過儀礼と神話的暴力
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  広坂朋信
  「古代ギリシアては、冥府へ下る入口だといわれる場所がいくつもあった。
 私たちが目覚めているときの生活もまた、いくつもの隠された場所に冥府へ下
 る入口のある土地であり、夢が流れ込んでくる目立たない箇所に満ちてい
 る。」(ベンヤミン「パリのパサージュ2」、『ベンヤミン・コレクション6断片の力』ちくま学芸文庫より)
  心霊スポットについては、以前この「コーラ」にも書かせていただいたよう
 な気がしていたが、今バックナンバーを確かめると私の思い違いであった。
近年、小野不由美残穢』(新潮社)の映画化(竹内義洋監督、2016)、川奈まり子『実話怪談 出没地帯』(河出書房新社、2016)、吉田悠軌『怪談現場東京23区』(イカロス出版、2016)、澤村伊智『ししりばの家』(角川書店、2018)、松原タニシ『事故物件怪談 恐い間取り』(二見書房、2018)などのヒットもあってか、すでに引退した心霊スポット・ライターの私にも久しぶりにお座敷がかかって、人前で何か話さなければならないことになった。
その心覚えのために、あらめて心霊スポットについて考えていることをここに書き出
 しておく。
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 ●連載「新・玩物草紙」●
  眼鏡/投壜通信  
  http://homepage1.canvas.ne.jp/sogets-syobo/singanbutusousi-40.html

  寺田 操
 《女の眼鏡はごくかすかな音をたてて割れました。》と書きだされた武田泰
 淳「めがね」『ニセ札つかいの手記』(中公文庫/2012・8・25)で
 は、近眼同士の男女の恋の行方に「眼鏡」が影を落とした。女は眼が悪いの
 に、男の前でも仕事場でも眼鏡はかけていなかった。男のほうは、《眼鏡は命
 から二番目に大事なもの》というほど強度の近眼だ。二人が一泊旅行した先の
 岩苔の公園で、珍しくサックから眼鏡をとりだした女は、風景を見まわしてか
 ら男との間のコンクリートのベンチに眼鏡を置いた。小さな事件が起きた。男
 が不注意に動かしたトランクの下で薄いレンズは砕けてしまったのだ。眼鏡を
 買ってあげると男は約束したのだが、女は病に倒れ……。
 (Webに続く)
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謹賀新年

もうすぐ終わりを迎えるはてなダイアリーで、あけましておめでとうございます。
公私とも多忙で、このブログもほったらかしになっていました。
はてなブロガーの皆さんとの交友の思い出を残しておくために新ブログに移行するつもりですが、更新できるかどうかはわかりません。

老母の怖い話

暑かった夏の思い出として、介護施設に短期入所した老母の怖い話を一つ。
ちなみに、これは高齢者福祉の問題点が云々というたぐいの話ではないことをあらかじめお断りしておく。
1992年に堀田善衛は、随筆「アルハンブラの思い出」で、暑いことで有名なスペインの夏を回顧している(堀田善衛
天上大風―同時代評セレクション1986-1998 (ちくま学芸文庫)』所収)。堀田によれば、スペインの夏は暑くて、「室内温度が三十度を越えると、もはや昼寝以外の一切の行動が出来なくなる」のだそうだが、今年の日本の夏は連日と言っていいほど30度以上の日が続いた。
この猛暑のなか、昨夏七月父が亡くなり老母が一人で暮らす団地のエアコンが壊れた。
暑さが本格的になる前の7月9日のことだったが、放っておけばとんでもないことになるのは目に見えていたので、すぐに近所の電気店に飛んでいった。
エアコンはいくらでもあるのだが、取り付ける業者が不足していて設置は3週間先になるという。これからいよいよ暑くなるというのに! 背筋がゾッとしたが、本題はまだ先である。
7月末まで扇風機と氷嚢だけというのも心もとない。とりあえず、日中はできるだけ老人介護施設のデイサービスに行ってもらい、日曜やデイサービスのない日の昼間は私が冷房の利いたところに母を連れ出して暑さをしのいでもらった。
そうこうしているうちに、デイサービスに行っている施設でショートステイが利用できることになり、これ幸いとエアコンが設置されるまでの最後の1週間は短期入所させてもらった。おかげで老母は、冷房の利いた部屋でぬくぬくと寝ていられたのである。冷房でぬくぬくと、というのは形容がおかしいがまあいいや。
これからが本題である。
先日、老母の介護担当者との打ち合わせがあり、ケアマネージャー、ヘルパー、訪問看護師の諸氏と話し合いがもたれた。
その折に、この夏の暑さの話になり、エアコンが入ってよかった、岐阜の病院ではエアコンの故障した部屋に寝かされていた老人が五人も亡くなったそうだ、ショートステイも利用できてよかったという話の流れで、ケアマネージャー氏が「ショートステイはいかがでしたか」と母に尋ねた。
すると母はこう言った。
「涼しい部屋で寝かせてもらって、ほんとうに命拾いした。有り難かった。ただ、夜は誰かがのぞきに来るので眠れなかった」。
その話は聞いていた。安全確認のために施設の職員の方が見回りに来たのだろうと思っていたので、そう言うとケアマネさんをはじめ、その場にいた皆さんがニコニコとうなずくなか、母は妙なことを言い出した。
「違うの。寝ているとカーテンの隙間から靴だけ見えるの、赤い靴や白い靴や黒い靴が」。
看護師さんが妙な顔をした。
「それだけじゃなくて、カーテンの上からのぞきこむ人がいるの。おかしな人ねえ」。
ヘルパーさんが「それって怖い話じゃ…」とつぶやいた。看護師さんもうなずいた。
一拍置いて、鈍感な私にもわかった。
母が短期入所した介護施設の玄関には靴箱があって、来訪者はスリッパに履き替える。職員はたいていズック靴をはいている。入所者は転倒防止用のかかとのあるサンダルのような上履きをはいている。
母の言う「赤い靴や白い靴や黒い靴」とは、婦人もののヒールのある靴のことだろう。夜中の施設にそんな靴を履いている人はいないのだ。
そして、カーテンの上からのぞきこむ顔。
母の寝ていた部屋は、病棟の4人部屋のようなところで、通路に面した足元と側面はカーテンで仕切られていた。
カーテンは1メートル80センチある私の背丈より高かった。
入所者はみな後期高齢者で、車椅子の人も多い。母と同室の人はみな小柄なお婆さんである。施設の職員で2メートル近い身長の人はいない。
パーキンソン病に伴う幻覚だろうか、それとも…、と、介護関係者と息子が怪訝な顔を見合わせていると、母はニコニコしながら言った。
「だからね、できるだけ、住み慣れた自分のうちで頑張ろうと思うの」。
前向きな言葉に、一同ホッとして、そうですね、がんばりましょうとか言っていると、母が話をまとめた。
「ここならお父さんもいて安心だし」。
笑っていたのは父の遺影だけだった。

Web評論誌『コーラ』35号のご案内

駄文を寄稿させていただいているWeb評論誌『コーラ』35号が発刊された。
私の〈心霊現象の解釈学〉は、ユング『心霊現象の心理と病理』と、國分功一郎『中動態の世界』を題材に屁理屈をこねてみた。これでも表題に掲げたテーマに近付くための小さな一歩のつもりである。

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 ●連載:哥とクオリア/ペルソナと哥●
  
  第46章 錯綜体/アナロジー/論理(その2)
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  第47章 錯綜体/アナロジー/論理(その3)
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  中原紀生
  ■アリエッティ拾い読み
  前章で引用した丸山圭三郎氏の文章(「深層意識のメタファーとメトニ
 ミー」)に、「深層の言葉の特徴である音のイメージを媒介とした連合関係」
 が、精神分裂病に特有の論理(推論)に通じていて、それをアリエッティ
 「古論理的(パレオロジカル)」と呼び、フォン・ドマールスは「擬論理的
 (パラロジカル)」と呼んだ、と書いてありました。
  アリエッティの「パレオロジカル」という語に接したのは、記憶に残るかぎ
 り鶴見和子著『南方熊楠・萃点の思想』が最初で、そこでは、西欧自然科学の
 「因果律」と仏教の「因縁」を格闘させ、必然性と偶然性とを同時にとらえる
 独自の方法モデル(「南方曼陀羅」と「移動する萃点(=交差点)」)を編み
 出した(105頁)熊楠の思考が、アリエッティやパース(偶然主義)やユング
 (マンダラ・シンボリズム)と並べて論じられていて、とても刺激的でした。
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 ●連載〈心霊現象の解釈学〉第13回●

  自由間接話法と中動態
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  広坂朋信
  前回まで、中村雄二郎真木悠介の用語法に引きずれて「アニミズム」とい
 う言葉を使ってきたが、中村のあげるバリ島の魔女ランダにしても、真木の描
 く石牟礼道子氏の姿にしても、アニミズムというよりはシャーマニズムという
 言葉を使った方が実態に近いかもしれない。もちろん、「アニミズム」にせよ
 「シャーマニズム」にせよ、その言葉自体は人類学者・民俗学者宗教学者
 観察者によってつくられた、理解のためのモデルであって、当事者の実態とは
 ズレが生じるだろうことは当然である。そのうえでなお、アニミズムよりは
 シャーマニズムだろうと私がいうのは、憑依ということを問題にしたいからで
 ある。いささか独断的に言ってしまえば、心霊現象と呼ばれるもののうち、憑
 依こそは最優先で考察されるべきものである。
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 ●連載「新・玩物草紙」●

  無言歌/山本陽子の眼、草間彌生の目
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  寺田 操
  『生の根源をめぐる4つの個展 ―篠原道生展・山本陽子展・岡崎清一郎
 展・春山清展』(足利市立美術館2017・8・4)を開きながら、本棚から
 黒地に赤の『山本陽子遺稿詩集』(編集=坂井信夫・中村文昭・七月堂/19
 86・5・20)をとりだしてみた。山本陽子について何本かのエッセイや書
 評を書いたことがあったのだが、遺稿を前にすると、いつも戸惑いが生じてい
 た。生きている死者(詩人)から、解読を拒まれているような視線を感じるの
 だ。
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