初詣

例年通り、高尾山と深大寺に初詣に行ってきました。
高尾山は真言宗深大寺天台宗名刹ですが、それぞれの教義にひかれてということではありません。
だから初詣は信仰心によるというより、年中行事を楽しみに行くという感覚です。
それでも高尾山と深大寺という選択は、私たちが住む東京都多摩地区の、かなり古くからある宗教センターに挨拶に行くというニュアンスもありますから、そこにまったく宗教的意味がないかといえばそうでもない。
その寺の檀家でもなくその宗派の信徒でもない以上、土地神様としての稲綱大権現や深沙大王に一年の加護を願うという意味では、民間信仰的な行動ではあります。
わが家の習俗についてはともかく、暮れに見たニュースに気になった記事がありました。

ネット参拝は是か非か、初詣で前に揺れる神社界
12月16日14時38分配信 読売新聞

 初詣でシーズンを前に、インターネット上で「参拝」「祈願」ができたり、お守りやお札を販売したりする試みを巡って、神社界が揺れている。
 全国約8万か所の神社を管理・指導する神社本庁(東京)は、「ネット上に神霊は存在しない」と、今年初めて自粛を求める通知を出した。しかし、導入している神社からは「神社に親しみを持ってもらえる」「遠方の人の助けになる」との声もあり、本庁では頭を抱えている。
 地元で「安産の神様」として知られる高知県南国市の新宮神社。ホームページで「インターネット参拝」を選ぶと、「ネット記帳」の欄が表示される。願い事を書き込み、「私のお願いをよろしく」というボタンをクリックすると、神社に電子メールが送信され、無料で祈願してもらえる。

これについてはすでにZ99さんが取り上げておられますがhttp://d.hatena.ne.jp/Z99/20061216/1166266224、私も感想も書き留めておきたいと思います。
神社本庁が「ネット上に神霊は存在しない」と断言していることが気になります。神道には特定の教義がないかの如くにいう人もいますが、ネット上に神霊が存在するかどうかの判断をくだせるということは、これは明らかに或る特定の形而上学的な立場を背景にしてなされることです。
その立場とはどのようなものであるかということは、この場合問題ではありません。神社本庁の考える神道には「ネット上に神霊は存在しない」という判断を下すことのできる教義があり、それをもとに傘下の神社の宗教活動に指導を行うことができるような特定の神霊観を持っている、ということです(もっとも傘下の各神社がこれに従うかどうかは微妙なところですが)。
ところで上の記事には続きがあって、神社本庁側の言い分について報じられています。

本庁の瀬尾芳也調査課長は「神霊は神社という場所や空間に鎮座するもので、足を運んでもらうのが基本。ネットの有効性は認めるが、仮想的、疑似的な側面が広がりすぎると、本来の信仰の形が崩れる」と説明する。

「神霊は神社という場所や空間に鎮座する」というのが「本来の信仰」であり、ネットは「仮想的、疑似的」である、という考え方がここに示されています。その当否についてはここでは棚上げにしておいてよいことですが、これはやはり特定の神霊観の表明でしょう。
他方で、民間の神霊観は、心霊写真に顕著に認められるように、新しいテクノロジーが普及されるたびにそれを吸収してきました。民間の神霊観を背景にしてつくられる作品においては、神霊(心霊)は、テレビに映り(「テレビ小僧」)、ビデオテープに録画され(「リング」)、携帯電話の電波にも混入する(「着信アリ」)ものとして表現されてきました。この延長線上で「攻殻機動隊」ではネット上に存在する「ゴースト」もすでに語られています。
今のところ、それらの機器が信仰の対象になったという話は聞いていませんが、少なくとも憑りしろの役割は果たし得るものと民間では思われているはずです。
もちろん、特定の信仰を持つ宗教団体の神霊観をとやかく言うつもりはありませんが、神社本庁はその設立の由来からして、微妙な立場にあります。
形式的には民間の一宗教法人であるとともに、その前身が全国の神社を管理するための公的機関であったために、日本にあるほとんどの神社が加盟しているそうです。
一口に神社神道といってもその信仰の形態は地域やまつられている神格によってさまざまで、素人目から見ても、神とは何かについて、とても一義的に集約できそうにはありません(薬師神社というものまでありますから)。
ずいぶん無理あることを言い出しちゃったなあ、というのが感想です。