国家神道は幻想か4幻想説の帰結

こういうのはやはり一気にやらないと。
屁理屈に飛躍があったらそれは熱のせいです。
文中に出てくるA・B・Cというのは、国家神道の内容を仮に分類したものです。
A国体カルトのイデオロギーイデオロギー装置としての国家神道
大日本帝国の制度としての国家神道
神社神道の側が望み、果たし得なかった国教としてのあるべき国家神道
もとが素人のつくったレジメですからご勘弁を。

国家神道」の呼称について

新田の「国家神道」幻想論は、葦津の議論を継承して、「国家神道」という語の定義をB大日本帝国の制度としての国家神道の意味で用いて、国家神道を「国体カルトのイデオロギーイデオロギー装置としての国家神道」(=国家神道A)とする説を批判するスタイルを採っているが、果たして戦後的な意味(=国家神道A)で用いてはいけない理由はあるのか。
新田自身が勝俣鎮夫『一揆』(岩波新書)を援用して「明治維新こそは欧米列強に対抗するために結ばれた巨大な国民的「一揆」そのものだったと思う」(新田、P257)と書いているのはどういうことか。中世の一揆と近世後期の一揆を同一視できるのか。明治維新以前に「国民」は成立していたのか。維新と呼ばれる内乱で賊軍はいなかったのか。
私たちは歴史の実態と完全に一致していなくとも、ある事柄をとらえようとするときに、いわば比喩的に概念を運用する。その運用が認められるのは、それが比喩的であることの自覚を持っている場合だと考える。新田は「一揆の要点をもっと普遍化して」(新田、P257)大化改新や神話にまでその概念を適用しているが、私自身としては大化改新明治維新も「一揆」だとするような「普遍化」をするべきではないと思う。これに比べれば、大日本帝国イデオロギー政策の特徴を「国家神道」の語を借りて表現することなど、可愛いものである。
とはいえ、思潮、制度として実在した「国家神道」と戦後の視点から捉えられたイデオロギー政策としての国家神道Aとのイメージの落差があまりに大きいならば、比喩としても不適切であることになり、問題とされる現象を呼ぶのに別の語を用いることはやぶさかではない。「国体カルト」(ウッダード)などという呼称もあるので、参考にできないか。
あるいは幻想論者がこれこそ実態であるとする国家神道Bを、別の名称で名指し返すことも考えられる。例えば、神祇院制度とか。

あるべき神道像について

葦津も新田も、その議論のタテマエは歴史の真実を明らかにするためであろうが、背景にはあるべき神道像があるはずである。

葦津の場合

葦津の目指したあるべき神道像は、次の文章にうかがうことができる。

宗教といふものは、霊感なくしては決して生じ得るものではない。霊感なき官僚や御用学者が共同謀議で創り得るものではない。仮にいかに巧みに「宗教的」文飾をほどこした教典を作ったとしても、人心の内面に感動をひきおこし得るものではない。(葦津、P194)
神道とは日本民族に固有の精神であり、文化でもあるが、それを精緻に理論的に分析すれば、それは多様な宗教的精神信条をふくんでゐる。そこに日本国固有のものとしての共通性もあるが、相異なる特殊の多様性の存在も否定しえない。それを総称して、「惟神の大道」といふのであらうが、その主流、源泉を形成したものとして全国に鎮座するところの神社がある。その全国神社をただの名目だけにせよ「国家の祭祀」として公認し、国がその維持を希望する意思を明白にしたのは、一つの功績であった。(葦津、P200-201)
政府が国立大学の研究、教育の自由を公認しつつ、その維持監督のみに国務行政の権限を自制することを考へれば、政府と神社との間にも似た関係をつくることはできたはずである。(葦津、P207)
ファナティックなデマゴーグは全く愚劣であるが、しかし、祖国日本の伝統にあこがれ「祖国を神国」として純粋に受け入れて行くのは、古くからの日本民族の美質でもあった。(葦津、P186)

とは、いわゆる国家神道Aや制度としての国家神道Bのことを念頭においてのことだろう。葦津にとって国教としてのあるべき神道とは、上から指導されるようなものではなく、ましてや「ファナティックなデマゴーグは全く愚劣」なのだ。
それは「日本民族に固有の精神であり、文化でも」あって「多様な宗教的精神信条をふくんで」おり、「そこに日本国固有のものとしての共通性もあるが、相異なる特殊の多様性の存在も否定しえない。それを総称して、「惟神の大道」といふ」、それが葦津の神道観である。
神道は「祖国日本の伝統にあこがれ「祖国を神国」として純粋に受け入れ」る「人心の内面に感動」、「霊感」に発するものであって、だからこそ「霊感なき官僚や御用学者が共同謀議で創り得るものではない」のだ。
そこで制度面では、神道は「「国家の祭祀」として公認」されるべきであるが、その内容には「多様な宗教的精神信条」が含まれているので、国家と「国家の祭祀」の関係は、政府と国立大学の関係のように、研究、教育の自由が公認されなければならない、とされる。
この葦津の神道観には、民族宗教として純化されたあるべき神道へのロマンティックな憧憬が込められているように思う。

新田の場合

国家神道」幻想説においては葦津説を継承しながらも、新田の神道観には、葦津のような宗教的確信が見られない。

それにしても、幕末といい、昭和といい、どうして危機の時代になると日本人は天皇の存在を意識するようになるのだろうか。(中略)この問いを解く鍵は、晩年の丸山真男が行き着いた、日本人の歴史意識の底に「原型」「古層」「執拗低音」といったものを仮定する発想や、ある種の心理学が想定している「集団的無意識」といった仮定のなかにあるのではないかと予想している。(新田、P118)
どうやら、天皇という存在に接すると、粗雑な理性や知識のおおいを破って、日本人の意識の奥底に潜んでいる民族感情というべきものが沸き上がってくるらしい。(新田、P119)

ここで新田が丸山政治学ユング心理学を引き合いに出して述べる「民族意識の古層の隆起」、習合思想としての国体と公認教制度は、実は新田にとって解明されるべき過去の事実ではなく、靖国神社を肯定するためにつくられた国家神道の未来像である。
新田は別のところで次のように述べている。

日本の場合には、一つの宗教伝統を母胎とすることには無理がある。したがって、公共的なものへ様々な宗教がその伝統に従って関わりを持つことを他の宗教が容認する精神、“公共的なものの多様な宗教性の相互承認”ということが大切なのではないかと思う。(加地・新田ほか『靖国神社をどう考えるか』、P146)

これはすなわち、葬式は仏式で、結婚式はキリスト教式でも容認するが、英霊祭祀は神道式で行うことを他宗教も承認せよと言っているのに等しい。
新田にとって靖国神社はすでに「宗派を越えた英霊祭祀の場」である(加地・新田ほか『靖国神社をどう考えるか』、P157)。しかし、ここでいう「宗派」には、神社本庁をふくむ神道各派だけが想定されているとは思えず、新田の想定する靖国は「国家によって「神仏基三教」を従えて君臨する「宗教界の帝王」の地位」という通俗的国家神道のイメージ(阪本是丸『国家神道形成過程の研究』、P363)そのものではないだろうか。
結局、新田は、それは幻想に過ぎないと自ら否定した国家神道Aを、これからのあるべき国家神道像として立ち上げなおしてしまうのである。
日本民族の精神としての神道の優位に確信を懐いている葦津の国家神道論が精神論的な傾向をもっているのに対して、新田の国家神道論は終始、反批判、弁明のための強弁という傾向をもっているのは、葦津が反体制右翼に共感する反骨の神道人であるのに対して、新田の関心が宗教性よりも靖国神社をめぐる政治に向けられているからではないだろうか。

引用・参考文献

葦津珍彦著/阪本是丸註『国家神道とは何だったのか』(神社新報社
ウッダード著/阿部美哉訳『天皇神道』(サイマル出版会・絶版?)
小野祖教著/澁川謙一改訂『神道の基礎知識と基礎問題』(神社新報社
加地伸行新田均・三浦永光・尾畑文正『靖国神社をどう考えるか?―公式参拝の是非をめぐって (小学館文庫)』(小学館文庫)
鎌田東二編著『神道用語の基礎知識 (角川選書)』(角川書店
阪本是丸『国家神道形成過程の研究』(岩波書店
桜井徳太郎・大濱徹也編『講座神道第三巻 近代の神道と民族社会』(桜楓社)
新田均「現人神」「国家神道」という幻想―近代日本を歪めた俗説を糺す。』(PHP
山口輝臣『明治国家と宗教』(東京大学出版会