祝!〈倫理の現在形〉休載

この半月、目が回るほど忙しく、ささやかな読書日記をつける余裕もなかった。
こういう忙しい時に限って上方から不吉な報せがあるものだが、今回は違った。喜ばしいニュースが飛び込んできたのである。
Web評論誌『コーラ』9号が発刊された、それも、シリーズ〈倫理の現在形〉抜きで!
http://d.hatena.ne.jp/kuronekobousyu/20091216/p1
なんという素晴らしいことだろう。この日が来るのをどんなに待ち望んでいたことか。
思い起こせば、黒猫房主様の奸知にまんまと引っかかった自分が愚かだったとはいえ、苦難の道のりであった。
Web評論誌『コーラ』に埋め草のつもりで寄せたくだらない書評まがいの雑文に〈倫理の現在形〉という仰々しいシリーズ名をつけられ、回を重ねるたびに自分より優れた方々の論考を見せつけられるという屈辱に、耐えがたきを耐え忍びがたきを忍んできたが、ついに今回、〈倫理の現在形〉は休載したのである(万歳!)。
悪意に満ちた〈倫理の現在形〉さえなければ、Web評論誌『コーラ』、なかなか面白い読み物である。
中原紀生氏による連載「哥とクオリア/ペルソナと哥」は「第13章 ラカン三体とパース十体(序)」と題して、宇波彰『記号的理性批判──批判的知性の構築に向けて』を枕に個性的な詩学基礎論を展開している。個人的にはベルクソンのイマージュ論への言及がうれしい。
http://sakura.canvas.ne.jp/spr/lunakb/uta-13.html
鈴木薫氏の連載「新・映画館の日々」は、「人でなしの恋――『シルマリリオン』論序説」。蘊蓄を傾けたトールキン論で、鈴木氏の流麗な文章とともに、学ぶところの多いものであった。
http://sakura.canvas.ne.jp/spr/lunakb/eiga-9.html
橋本康介氏のコラム「コーヒーブレイク」は「歌謡「おさななじみ」にみる〈公的記憶の改竄又は無化〉」と題して、1963年の世相を振り返る。63年と言えば、何を隠そう私の生まれた年ではないか。当時三〇歳前後だった人々があげられているが、私の両親もそうした人々ともにその時代を過ごした世代である。なんとも感慨深いものがあった。
http://sakura.canvas.ne.jp/spr/lunakb/column-3.html
このように〈倫理の現在形〉さえなければ、Web評論誌『コーラ』はたいへん興味深い記事に満ちている。
これからもWeb評論誌『コーラ』には〈倫理の現在形〉抜きで健闘していただきたいものである。

追記「猫倶楽部カレンダー」

和睦のしるしという意味か、黒猫房主さまから「猫倶楽部カレンダー」を頂戴した。
私は猫にあまり好かれない方なので、自分も猫好きではないのだが…、可愛い。
ブログで宣伝していないところを見ると、もしかすると大好評のため売り切れなのかも知れないが、猫好きの方は、id:kuronekobousyuさんに問い合わせてみたらいかがだろう。