三遊亭円朝『真景累ヶ淵』は、もともと「累ヶ淵後日の怪談」という題名であったそうで、つまり「累ヶ淵」として知られている物語の後日談という位置づけである。
- 作者: 三遊亭円朝
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2007/03/16
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年上の愛人・豊志賀の嫉妬に嫌気がさした新吉は、病気の豊志賀を見捨てて家を飛び出すが、その間に豊志賀は死んでしまう。「此の後女房を持てば七人まではきっと取殺すから然う思え」という豊志賀の遺書を見た新吉は、豊志賀と暮らした江戸にいるのが怖くなり、恋仲のお久と、お久の故郷である羽生村をめざして駆け落ちする。二人が鬼怒川(引用文中では絹川)のほとりにたどり着いたところで、円朝による「累ヶ淵」の説明が入る。
あの辺は筑波山から雲が出ますので、是からダラ/\と河原へ下りまして、渡しを渡って横曾根村へ着き、土手伝いに廻って行くと羽生村へ出ますが、其所は只今以て累ヶ淵と申します。何う云う訳かと彼方で聞きましたら、累が殺された所で、與右衞門が鎌で殺したのだと申しますが、それはうそだと云う事、全くは麁朶を沢山脊負わして置いて、累を突飛ばし、砂の中へ顔の滅込むようにして、上から與右衞門が乗掛って、砂で息を窒めて殺したと云うが本説だと申す事、また祐天和尚が其の頃脩行中の事でございますから、頼まれて、累が淵へ莚を敷いて鉦を叩いて念仏供養を致した、其の功力に依って累が成仏得脱したと云う、累が死んで後絶えず絹川の辺には鉦の音が聞えたと云う事でございますが、これは祐天和尚がカン/\/\/\叩いて居たのでございましょう。
ここで円朝が「鎌で殺したのだと申しますが、それはうそだと云う事」と言っているのは、この噺に先行する累ヶ淵怪談の代表的な作品、例えば、曲亭馬琴の小説『新累解脱物語』、鶴屋南北の歌舞伎『法懸松成田利剣』などでは、累は夫・与右衛門に鎌で切り殺されたことになっているからだろう。累殺害の経緯については、『死霊解脱物語聞書』によれば、円朝が「本説」だとして語っていることの方が近いのだが、それなら馬琴や南北はどこから鎌を持ち出したのか。
『死霊解脱物語聞書』の記述がそのまま事実かどうかはわからないが、事故死に見せかけるなら鎌で斬り殺すよりも、川に突き落として溺死させる方が都合がいいに決まっている。南北なら芝居として上演するのが前提だから、鎌を振り回しての立ち回りがあった方が舞台映えするということはあっただろう。
それでは馬琴はどうか。読み物だから、実説として知られていた『聞書』から離れてまで鎌を使わせる理由はないだろう。そうすると、馬琴に先立って、誰かが与右衛門に鎌を使わせる演出を考え出したものがいるのか、それとも『聞書』とは別ルートのニュースに、凶器は鎌だとしたものがあったのか。
考えてもわからないことなので、このへんにしておこう。