累の怨霊は怖かったか(三)−妄想「累ヶ淵」

前回(http://d.hatena.ne.jp/t-hirosaka/20120718/1342622190)からの続き。
あまり詳しく書くとネタバレになりはしないかと心配される方もいるかもしれないが、『死霊解脱物語聞書』の原本は上下二巻全12章で構成されており、前々回と前回で私が取り上げたのは、6章からなる上巻のうち第2章「累が怨霊来て菊に入替る事」、第3章「羽生村名主年寄累が霊に対し問答の事」、第5章「累が霊魂再来して菊に取付事」のそれぞれ一部にすぎない。
しかも客観的記述ではない。本文を何度も読むうちに私の頭のなかに名主・三郎左衛門という人のキャラクターが出来上がってしまい、その私製キャラクターの視点を通して見えた事件の推移を追っているだけだ。つまり、7割方は私の妄想なのである。
一方、『死霊解脱物語聞書』自体は、残寿という僧侶の視点から、この残寿が事件関係者に取材して事件の全体像をまとめたという形式になっており、残寿が所属していたと思われる浄土宗の教義の宣伝、残寿が師事していたらしい祐天上人の偉業の宣揚という側面さえ差し引けば、おおよそ客観描写にはなっている。
この残寿という人は正直で、私がまったく触れなかった上巻第4章「菊本服して冥途物語の事」では、菊の発言内容について浄土仏教の教理に一致するよう『往生要集』を参考に自分が書き加えたと告白している。
それにくらべて私ときたら、もちろん刊行された本の私の担当部分ではなるべく正確な要約をこころがけたが、このブログでは何の断りもなく思い切り意訳している。地獄に堕ちるのは必定である。
現に私とは違う読み方をされた方もいる。
『死霊解脱物語聞書』読中妄想感想文。
http://togetter.com/li/337152
http://togetter.com/li/337526
次の方は、「累ヶ淵」のご当地茨城県の方のようだ。
http://ameblo.jp/code5050-0309/entry-11287806939.html
http://ameblo.jp/code5050-0309/entry-11289772449.html
http://ameblo.jp/code5050-0309/entry-11290247497.html
http://ameblo.jp/code5050-0309/entry-11291102980.html
http://ameblo.jp/code5050-0309/entry-11302660338.html
http://ameblo.jp/code5050-0309/entry-11303505669.html
それぞれ独自の視点で解釈されている。
つまり、何が言いたいかというと、私がこのブログで書いているのはあくまで私の妄想的解釈であって、それがすべてではない、『死霊解脱物語聞書』本文には、それだけいろいろな解釈を誘発する潜在力があるということだ。

第二回交渉の続き

さて、二月二六日に行われた累との第二回交渉で完敗した羽生村名主・三郎左衛門は、自腹を切って石仏を購入したうえ、全村民参加の念仏供養を執り行うことも約束させられた。
その際、村民からの要望により、法要に先立って「累にあの世のことを尋ねる会」(もちろんこんな表現は原文にはない)を開催することになった。このお楽しみ会がたいへんなことになった。
二月二七日(「羽生村の者とも親兄弟の後生をたつぬる事」)。

辰の上刻より村中の男女とも、与右衛門が家に充満し、四方のかこひを引はらひ、見物すもうの場のごとく、前後左右に打こぞり亡魂の生所をたづねんと、一々次第の問答は、前代未聞の珍事なり。

辰の上刻というから、朝の七時か八時頃だろうか。ともかく朝っぱらから村中の男女が与右衛門宅に集まった。ここで目につくのが与右衛門の屋敷の広さだ。引き戸やなにやらをはずせば全村民が集まれるだけの広さがある。当時の羽生村の人口がどれほどかはわからないが、最低でも五十人くらいはいたのではないだろうか。前回省略した累の怨霊と庄右衛門の問答から類推すると、累の生まれた家は、もとは裕福な家であったらしい。
ともかく結構な人数が苦しげに横たわっている菊を中心にぐるりと取り囲み、いよいよ前代未聞の珍事なるイベントが始まった。

其時名主三郎左衛門すヽみ出て、あわふき居たる菊にむかひ、かさねゝとよばわれば、菊が苦痛たちまちしづまり、起きなをりひざまついてぞ居たりける。

三郎左衛門が泡を吹いてひっくり返っている菊に向かって「かさね、かさね」と呼びかけると、菊の苦痛はたちまちおさまって床から起き上がった。累が現れたのである。
あたかも三郎左衛門が累を呼び出した(菊を累化した)かのような場面だが、このあとの経緯を見ると必ずしもそうではない。三郎左衛門の司会によって始まった「累先生にあの世のことを尋ねる会」は、累の毒舌独演会になっていったのである。そしてこれが『死霊解脱物語聞書』前半のクライマックスなのだ。
集まった村人たちが亡き親族のあの世での消息を尋ねると、累は、名主、年寄の親を手始めに、その人ならこれこれの罪で何々地獄に堕ちた、あの人ならこれこれの罪で何々地獄に堕ちたと、片っ端から地獄行きを宣告する。怒った村人が証拠はあるのかと詰め寄ると、その人が生前に犯した罪はこれこれでと具体的に例を挙げ、その生き証人は誰それだとその場にいる人を示すと、それがことごとく当たっているのだ。こうしたやりとりが一日中続いたのだという。会場となった与右衛門宅は怒号と嗚咽と嘲笑に湧きかえるなんともスラップスティックな空間になったことだろう。
こうしてただ一人、村で一人前に扱われていなかった(村八分にされていた?)杢右衛門という信心深い老人が極楽行きなのをのぞいて、村人たちの亡き親兄弟の生前の罪が明らかにされた。
しかし「さてこのほかにも人の知らぬ罪科はいくらでもあります」と累がなおも暴露を続けようとしたところで、三郎左衛門が大声をあげて累の発言をさえぎった。

さてその外に人の知らぬつみとが、いくらといふ数かぎりなしと、又もいわんとする所に名主大声あげて、みなゝたわことせんなし、各々も聞べからず日も暮るに、念仏いざやはじめん

「皆さん方、たわ言につきあってもしようがありません。もうやめましょう。日も暮れたし、念仏を始めましょう」。三郎左衛門はそう言ってこの催しを唐突に終了させ、法蔵寺住職を招き入れて、夜通しの念仏法要を行い、ついに累の怨霊は菊の身体を離れ、菊は正気に返った。
こうして「累にあの世のことを尋ねる会」は打ち切られ、二回目の騒動は幕となったが、それにしてもなぜこのタイミングだったのか。
累の怨霊が村の死者たちの旧悪を暴露しはじめたときに怒りだした人もいた。集まった人たちは、当初は亡き肉親の死後の消息を聞いて懐かしみたいと思っていたのだろうから、それは当然である。それならば、この場の司会役の三郎左衛門としては、もっと早い段階でストップをかけることも出来たはずだ。しかし、彼はそうはしなかった。それはどうしてか。
おそらく、場の空気に呑まれてしまったのである。村人たちが催しの続行を望んだのだ。村内序列では上位の名主、年寄の親から始まって、次々に地獄行きが宣告されるのを聞いていれば、さては今日は全員地獄行きだなと誰もが予想しただろう。 しかも、暴かれる犯罪もたいしたものではない。最も重い罪の者が行く無間地獄に堕ちた人でさえ、犯した罪と言えば、坊さんの衣服と荷物を追い剥ぎした程度だから、他は軽犯罪の類いだろうことは推して知るべしである。せいぜい窃盗、恐喝、横領、姦通、偽証、不正蓄財といったところだろうし、それもすべて村内のことだから被害の程度もたかが知れている。累の言う罪は、現実社会の法規範によるものではなく、仏教の宗教的倫理観を基準にしたものなので、煩悩にまみれた凡夫は仏の慈悲にすがらない限りたいていは地獄行きに決まっているのだ。
それに他人の隠し事への好奇心というものがある。今も週刊誌などはその類いの記事でいっぱいだ。また、ふつうなら恥ずべき悪事も、開き直ればちょっとした自慢になることがある。累の暴露は、村人たちののぞき趣味と露悪趣味に火をつけたのではないか。だからこそこの暴露大会が朝から夕方まで延々続いたのである。
この時、累は誰に憑依していたのか。菊という個人を超えて羽生村全体が憑依されていたというべきかもしれない。異様な熱気に包まれた会場で、三郎左衛門だけが我に返ったのは、彼がこの村の生まれではなく他村の出身者だったからなのか、名主という役割に忠実だったからなのか。いずれにせよ、「さてその外に人の知らぬつみとが、いくらといふ数かぎりなし」という累の言葉に彼は戦慄した。それはさせてはならないと、とっさに大声をあげて中止を宣告したのである。

第三回交渉

三月十四日(「累が亦来る事 附名主後悔之事」)。
羽生村に不安と動揺を残して累が去ってから半月ほどして、菊がまた累に取り憑かれた。ここからはいよいよ下巻に入る。
『死霊解脱物語聞書』は「亦明る三月十四日の早朝より、累が霊来て、菊を責る事例のごとし」と書いているが、実は私はこの時の「累が霊」がこれまでの累の怨霊と同一人物かどうか疑わしいと考えている。さらに言えば、一回目と二回目についても、菊に憑依したものが同じ人格だという確証はない。それが累の怨霊だというのも、つきつめれば本人の自己申告だけが根拠なのだ。しかし、この場合の本人とは誰のことだろうか?
一回目と二回目はさておき、三回目の憑依は、それまでとは明らかに違う特徴がある。
原文に読点を補って引く。

時に父も夫もあわてふためき、早々名主年寄にかくと告れば、両人おどろき則来て、菊に向ひ、累は何くに在るそ亦何として来るといへば、菊がいわく約束の石仏をもいまだ立てず、其上我に成仏をも遂させず、大勢打寄偽りを構へて亡者をたぶらかすといふて、我をせめ申といへば。

例の如く与右衛門に呼ばれてやってきた名主と年寄は、菊に向かい「累はどこにいる? どうしてまた来た?」と尋ねた。こういう質問は今回が初めてである。
これまで累の怨霊は、物理的には菊という少女の身体に重ね写しされるように認知されていたのだが、今回は三郎左衛門と庄右衛門にとって、目の前にいる少女は与右衛門の娘、菊以外には見えなかったようだ。
そして、菊が質問に答えた。菊が累としてではなく、菊として答えたのである。「約束の石仏もいまだ立てず、そのうえ私を成仏もさせず、大勢で嘘をついて亡者をだました…と累は言って私(菊)を責めるのです」と菊は言った。
今回の累は直接自らの意思を語らず、息も絶え絶えの菊に伝言させることしかしない。いや、菊の伝えた累の言葉というのも、三郎左衛門や庄右衛門に向けて累の意志によって伝えたというよりは、菊が累に言われたことを言葉にしているにすぎないのだ。
三郎左衛門も拍子抜けしたことだろう(本当はちょっと淋しく感じたんじゃないか)。

名主聞もあへず。是は思ひもよらぬ事哉。かさね能聞け。其石仏は明後十二日には、かならす出来する故に、我々昨日弘経寺方丈様へ罷出、石塔開眼の事両役者を以て申上る所に。方丈の仰せには、其石仏の因縁具に聞伝たり。でき次第に持来れ。かならず我開眼せんと、直に仰せを蒙りし上は、縦ひ汝が心は変化して、石塔望は止むとても、方丈の御意重ければ、是非明後日は立る也。かほど決定したる事共を、汝知らぬ事あらじ。

…これは思いもよらぬことを言う。累よく聞け。石仏は明後日には必ず納品される。私と庄右衛門さんとで弘経寺のご住職にお願いして開眼供養の段取りも付けた。こうなれば、たとえお前が心変わりして石仏はもう要らぬといっても、明後日には必ず石仏が建立される。これほど決まっていることをお前が知らぬはずはないだろう。…
「かさね能聞け」、これまでの累なら、名主が呼びかけるや、たちまち菊を苦しめることをやめて床より起き直り、「名主どの、たびたびご足労をかけますね」などと悠然と挨拶して、雄弁に自らの主張を語ったことだろう。ところが累は何も言わない。目の前の菊はもがき苦しんでいるだけである。三郎左衛門の堪忍袋の緒は切れた。

よくゝ是は菊がからだの有故にゑ知れぬ者の寄添て。いろゝの難題を懸け。所の者に迷惑させんためなるへし。此上は慈悲も善事も詮なし。只其儘に捨置き。かたく此事取持べからすと。名主年寄大きに立腹して各く家に帰れば。与右衛門も金五郎も。苦しむ菊をたヾひとり。其儘家に捨置き。野山のかせぎに出たるは。せんかたつきたるしわざなり。

…さては、(取り憑かれやすい)菊の身体があるために、得体の知れぬ妖怪が取り憑いて、いろいろと難題をふっかけ、村を困らせようというつもりだな。この上は、同情も支援も意味がない。このままに捨て置き、以後、この件にかかわるべからず。…
威勢のいい啖呵を切って名主屋敷に引き返した三郎左衛門だが、内心では困惑していたに違いない。彼はそのまま家に引きこもってしまうのである。
石仏建立で解決するやに思えた累憑依事件は物言わぬ累の登場によって膠着状態に陥るのだが、ここに実にタイミングよく「権兵衛」という人物が現れる。弘経寺の使用人とのことだが、『死霊解脱物語聞書』の登場人物中でもっとも怪しい人物である。素性が知れないばかりか、実在すら疑われる。この権兵衛にくらべたら、累の怨霊も、日本昔話に出てきそうな杢右衛門老人も、その他の名前の記されていない村人たちも、よほどリアリティがあるというものだ。あるいはこの権兵衛だけは、『死霊解脱物語聞書』上巻から下巻への橋渡し役として、筆者・残寿が設定した架空の人物ではないかと考えることもできる。
それはともかく、この権兵衛、なにをやったか。

かヽりける所に弘経寺の若党に権兵衛といふ男。山廻の次てに、名主が館に行けるが、三郎左衞門常よりも顔色青ざめて、物あんじ姿なり。

権兵衛は用事のついでにたまたま名主宅に立ち寄ったかのように残寿は書いているが、村の事情を探りにきたようにしか思えない。青ざめた顔で考え込んでいる三郎左衞門に、どうしましたか?と尋ねている。
三郎左衞門はこれまでの経緯を語った上で、ついに彼の抱いていた不安の核心を話す。

そのうへ此霊付しよりこのかた、村中の者共親兄弟の悪事をかたられ、隣郷他郷の聞所証拠たヾしきはぢをさらす。しかれども今までは、死さりたるものヽ悪事なれば、子孫の面をよごす分にして、当時させる難儀なし。此うへにまたいかなる悪事をかいヽだし生たるものヽ身のうへ、地頭代官へももれ聞え、一々詮議に及ぶならば、村中滅亡のもとひならんもいさしらずせんなき事に懸り合村中へも苦労をかけ我等も難儀を仕る

…累の霊が取り憑いて以来、村中の者が亡き親兄弟の悪事を暴かれ、近隣の村々に恥をさらしました。今までは亡くなった人のことだから、子孫の面汚しになるまででたいした問題にならずにすんでいますが、さらに生きている者の悪事まで暴かれて、代官所からいちいち嫌疑をかけられるようなことになれば、この村は滅びることになるかもしれません。手の尽くしようもないことにかかわりあい、村人たちへも苦労をかけ自分たちも難儀しています。…
去る二六日の暴露大会で、累の怨霊が「さてその外に人の知らぬつみとが、いくらといふ数かぎりなし」と言い出した時に、三郎左衞門が気のついたことはこのことだった。
…累は村人たちの親世代の隠し事をことごとく言い当て、誰が誰の何を知っているかまで、人間関係もすべて把握していた。とすれば、彼女は死者たちのことだけでなく生きている者についてもきっと知り尽くしているに違いない。そのすべてを暴露されたらどうなるか。
明後日には弘経寺住職一行を迎えて石仏の開眼供養をする。その時に、菊の口からさらなる爆弾発言があれば、必ず代官所が介入してくる。公権力の捜査が入ったら、仮に、神がかり娘の戯言ですから真に受けないでください、と言い逃れできたとしても、不届きな騒動を起こしたとして、名主である自分をはじめ有力者の何人かは処罰されるだろう。
咎めなしですんだ村人の間にも相互不信が広がり、地域は共同体として機能しなくなる。多少の悪徳は見て見ぬふりをして助け合ってこそ成り立ってきた村の生活である。村人たちが互いに疑心暗鬼になって共同性にひびが入れば、年毎の農作業は滞り、たちまち村の経済は困窮するだろう。この村は崩壊する。
そもそも代官所に対して、発狂した娘の戯言だから真に受けないでくれ、と言い訳しなければいけないとしたら、他の弁明など思いつかないからそうするほかないのだが、これはまさしく事件発覚時の与右衛門の言い逃れと同じではないか。そう弁解したとたんに、我らはみな与右衛門の同類になるのだ。
怖ろしや、累の怨霊。「此霊付しよりこのかた」我らはみな累殺しの連帯責任を問われていたのだ。繰り返し要求された法要は、アレは、ムラであることの罪を懺悔せよと迫っていたのか。人殺しを見逃して村の平和を守ったつもりかい、と嘲笑う累の声が聞こえてくるようだ。…
このように累の怨霊の怖ろしさを理解した名主・三郎左衞門は、なすすべもなく恐怖に青ざめたのである。
さて、三郎左衞門の憂慮も私の妄想も、ふくらみ過ぎてはじけそうだ。「たわことせんなし」。
三郎左衞門が「常よりも顔色青ざめて、物あんじ姿」でいた理由について私の考えを述べたところで打ち止めにしよう。
この後、謎の権兵衛は、与右衛門宅に行って菊の容態をうかがい、弘経寺に戻るや、祐天につぶさに報告する。そしていよいよ江戸のエクソシスト祐天和尚の出番となるのだが、ここから先は下記書籍をご覧いただければ幸いである。くどいようだが、これは宣伝なのである。

死霊解脱物語聞書―江戸怪談を読む

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