Wの悲劇というか雑談

仕事場でつけっぱなしにしているラジオから、懐かしい歌が野太い男声で流れてきた。
流行歌の題名はほとんど憶えていないのだが、この曲は、映画「Wの悲劇」の主題歌だ。
どうやら最近テレビドラマ化されて、えっと、名前が出てこない、阿部寛じゃなくて、背が高くて彫りの深い顔立ちで、音域声量ともに豊かなあの歌手…、ちょっと調べる、あ、平井堅だ、がカバーしたらしい。
私は世代的に「Wの悲劇」と言えば薬師丸ひろ子だ。すでに大女優だった三田佳子を相手に見事な演技を見せて、当時の話題をさらった。
松任谷由実作詞による主題歌は、「あー時の河を渡る舟にオールはないー、流されてくー」というフレーズが印象的で、景気はよかったけれど、どこか空虚感を漂わせていた時代の雰囲気をよくうつしていると思う。
と、懐かしんでいたが、気づけば自分ももう五〇前。二〇年近く昔の話をしたところで、若い方には通じないだろう。
新社会人の頃、二まわりくらい歳上の先輩から安保闘争の頃の話を聞かされて、貴重な歴史の証言だと拝聴しながら、なんとも現実感がなくて困った記憶がある。
こうした齟齬はどの世代間でも起こることで、親子くらい歳が違うんだから仕方がないんだと割り切るほかない。
けれども、開き直るのではなく、必要な事柄についてはちゃんとコミュニーションがとれるようにしなければならない。気をつけよう。
それはそうと、高名な評論家の某氏、会社を立ち上げたはいいが、社長の気持ちを察してくれない社員は甘えているとか、無茶なことを言っているらしい。ふつう、気持ちを察してくれないと言う方が甘えていると評されるものなのだが…。いくら一芸に秀でていても、経営者・管理職としては、背中で仕事を語りうるほどの域にはまだ達していないと思うのだが、どうだろう。
ライターとしては雲の上の人だが、管理職としては自分の方が上だと確信した。
もっとも、今の私に部下はいないんだが。