t_keiさんへ

以下はid:t_keiさんの上記記事に対する感想です。
拝読いたしました。お役に立てて光栄です。
コメント欄には長くなりすぎたので、こちらに感想を書きます。
最近、ユングは読み返していませんが、曖昧さ、というのは、どこから出てきたんでしょうね。
80年代後半から90年代初めにかけて、ファジーとか、両義性、複雑系とかのキーワードが流行ったような記憶があります。曖昧さも含めて、物事を捉えるための概念装置としてはそれぞれ意味があったのでしょうが、それがいつの間にか価値であるかのように語られていた、そしてその流れのなかに河合氏もいた、そんな印象があります。河合氏のほかにも、中村雄二郎山崎正和中沢新一氏らのお名前が頭に浮かんできます。
これも印象にすぎませんが、河合氏はユングの学説を解説しながら、自分の経験則をすっと滑り込ませている、そんな書き方をしている箇所があったような記憶があります。『影の現象学』だったか、『無意識の構造』だったか、いま手元に本がないのでわかりませんが、初期の頃からそんな書き方をしていた。日本文化、あるいは日本人の精神構造とはこういうものだ、という独断的な本質規定がある。曖昧さというのもそのあたりが出所のような気がします。
この河合氏の癖については、http://d.hatena.ne.jp/t-hirosaka/20050702で、林氏の言葉を借りて指摘したことがあります(このアレな取り合わせは、化けくらべを楽しむという趣向であることをご承知おき下さい)。この狐と狸によってユング心理学が歪んだ形で定着しかけていることはまことに残念です。お陰で真面目に取り組む人が減ってしまったのではないでしょうか。よくてニューエイジイデオロギー、悪くすれば精神管理の小道具ですからね。ユング派の人も参加しているというトランスパーソナル心理学というのにも危惧を感じています。
そういうわけで、t_keiさんの、正面からユングを読み直そう、という試みは大変面白いものだなと思っているわけです。
お仕事、大変でしょうが、続きを楽しみにしております。