現行法の問題点

先日ふれた古山明男著『変えよう! 日本の学校システム 教育に競争はいらない』には、現行の教育基本法の問題点も指摘されている。
もちろん、本書の趣旨は、教育の官僚統制からの脱却であり、原則論としては教育目的などの法定は不要とする立場だが、現行法の第10条を評価し、教基法改正に反対するものである。
あとがきで著者はこう述べている。

本書を書いた最大の理由は、『教育基本法』改正案が出てきたことだった。教育問題はシステムの問題であるのに、お説教で解決しようとしているのがこの改正案である。それに、この改正案は、文部科学省が責任を取らずに口出しする体制の固定ではないか。危ないことをする、教育をよくする道は、ほかにちゃんとあるのに、と言いたくなった。(p222)

まったく同感である。
ただし、現行法が完全かといえば、与党や民主党のようなおバカな方向ではない再検討の余地はあるのであって、それを無視することはできない。
古山は次の点を現行法の問題点として挙げている。

  • 教育の目的と方法を法律で定義するため、教育が政治勢力の綱引きの対象にされてしまう(第一条、第二条)。
  • 教育基本法』は、学校の設置者を法人に限定している(第六条)。しかし、日本が批准した国際条約は、個人および団体が教育機関を作る自由を保障している。『教育基本法』と国際条約を整合させる必要がある(「経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約」(第一三条第四項)、「児童の権利に関する国際条約(第二九条第二項))。
  • 学校は公の性質を持つ(第六条)、とされているのが、官の統制の根拠になりやすい。公務員的に運営する根拠にされてしまう。
  • 第十条第一項の意味が不明瞭であり、教育に対する政治支配、官庁支配に対する防波堤として十分でない。
  • 教育を受ける側の権利保障が弱い。差別禁止条項(第三条)しかない。(以上、古山前掲書、p185)

古山は以上の点を問題点とするが、私はこれにやや異論がある。
第一点について、「教育の目的と方法を法律で定義する」ことの是非については私も懐疑的であるが、しかし、教育がまったく政治と無関係でありうるし、そうあるべきだとまでは考えない。政治=悪ということになってしまっては、おかしなことになりはしないか。
第二点及び第三点について、現行法が「学校の設置者を法人に限定している(第六条)」は確かである。しかし、これは「法律で定める学校」すなわち学校教育法に定められた学校(いわゆる一条校)についてであって、「教育機関」一般ではないし、そもそも公教育についての規定なのであるから、文句の付け方がおかしい。仮に教基法の学校設立者を「法人」から「個人および団体」にしたところで、学校教育法を変えなければなんの意味もない。逆に学校教育法の規定をゆるめれば、教基法は現行のままでも、少なくともNPO法人による学校設置は可能になる。また、公=公務員的=官僚的という連想は確かに現実にはそう言わざるを得ないが、それでも公共性を一切排除してよいということにはなるまい。これでは私事化万能論になってしまい、市場化論と変わりはない。
第四点については、それほど意味不明瞭とは私は思わない。
第五点については、憲法第二十六条との関係もあるが、確かに「児童の権利に関する国際条約」などと比べると物足りないように思う。
以上、古山の挙げる教育基本法の問題点と、それについての私の感想を書き出してみた。
ちょっと批判的な感想になってしまったが、それは古山が挙げた諸点を積極的な論点として考えるならば、ということであって、古山自身も本書で、現行法でたいていの教育はできる、要はお役所が余計な口出しをしなければよい、という趣旨のことを強調しているので、以上の諸点が本書の中心的話題ではない。この本の真価は別のところにあることをお断りしておく。