われらはみな、アイヒマンの息子

われらはみな、アイヒマンの息子

著者のアンダースには以前から興味があった(この名を最初に目にしたときはアンデルスだったような気がする)。
アンダースはペンネームで本名はギュンター・シュテルン。人間の発達は遺伝と環境の相互作用によるという輻輳説を唱えた心理学者シュテルンの息子であり、確か親の研究の実験台としていろいろな教育方法を試されたため、すっかり勉強嫌いになったとかいう逸話をどこかできいたことがある(真偽不明)。成長してからはハイデガーのもとで哲学を学び、ハンナ・アーレントと結婚する(後に離婚)。またベンヤミンの親戚にもあたる(アーレントベンヤミンの草稿を託されたのはこの縁か)。
二〇世紀初頭のドイツ・ユダヤ系知識人社会の生き証人のような人物であり、戦後もジャーナリストとして活躍しヨーロッパではよく知られていた人らしいのに、なぜか日本では広島に原爆を投下した米軍パイロットとの往復書簡『ヒロシマわが罪と罰―原爆パイロットの苦悩の手紙 (ちくま文庫)』(ちくま文庫)くらいしか読まれていない(たぶん今はこの本もろくに読まれていない)。本書はそのアンダースが、ユダヤ人虐殺で裁かれたナチス官僚アイヒマンの息子、クラウスに宛てた二通の公開書簡の翻訳からなる。
アンダースのかつての妻、アーレントアイヒマン裁判の傍聴記(『イェルサレムアイヒマンみすず書房)で、官僚組織の歯車として事務的にホロコーストを推進したアイヒマンの「悪の凡庸さ」を指摘したが、アンダースはアイヒマンの息子クラウス宛ての書簡という形式で、全体主義の「根」は消えておらず、世界の機械化の拡大とともに、われわれもまたアイヒマンと同じ過ちをしつつある、と警告する、…というような内容。
一通目の長い書簡は、父親がナチス戦犯だったことに衝撃を受けているであろうクラウス少年を気遣いながら、噛んで含めるように、父上の罪は君の罪ではない、しかし、父上の罪を直視しなければ、同じ過ちをくり返すことになる、と語りかける。
二通目は、かなりときをおいて書かれたもののようで、成人した「アイヒマンさん」に向けて、ネオナチの勃興、歴史修正主義の跳梁といった状況を踏まえて、戦後われわれは何をしてきたか、と問いかけ、自問する。
「つまり、われらはみな、アイヒマンの息子だっていうわけね」と言ってしまえばそれまでなのだが、文章はなかなか感動的な名文で、「怪物的なもの」、「世界機械」など、イメージ喚起的な言葉で語られるドイツ版戦後責任論には、何か一度は考えることをやめてしまったテーマについて、もう一度手にしてみようかという気にさせられた。