覚えておいてよ、ヨナス君

厄介な仕事が一区切りついたので、通勤電車での読書を再開。いきなり難しい本を読むと目が回るので、まずは肩慣らしに薄い本にした。

哲学・世紀末における回顧と展望

哲学・世紀末における回顧と展望

碩学晩年の講演録。眼目は後半の将来の哲学の展望(フォイエルバッハの『将来の哲学の根本命題』を連想させる)にあるのだろうが、読んでいる人間の根が後ろ向きなものだから、波瀾万丈の人生を送ったヨナスの回想の方が興味深かった。
ハイデガーに師事したユダヤ系知識人のヨナスは、同世代のレーヴィットアーレントやマルクーゼと同様、かつての恩師に屈折した思いを抱かざるをえない。ナチスに加担したハイデガーへの幻滅をソクラテスと比較して語っている。

他の様々な学問とは違って、哲学が昔から理想とすることは、知に奉仕することに止まらず、その奉仕者たる哲学者の態度をも形成することであった。
(中略)
哲学の進むべき道を最初に照らしてくれたのはソクラテスであった。そのイメージによって哲学には気高い力があると皆が信じてきたものである。だからこそあの時代のかの深遠な思想家が、褐色シャツ大隊の怒濤の行進に歩調を合わせようとしたとき、彼個人に幻滅したばかりでなく、哲学の敗北すら私の目に映ったのだった。そこでは一人の人間ばかりか哲学もダメになった。あの名声はずっと偽りに過ぎなかったのだろうか。古くからの輝かしい期待を幾分かでも回復することがあるだろうか。不世出の大人物の堕罪は歴史的な大事件になってしまうのである。

ヨナスはこれに続けて、ハイデガーに対比して、ナチスに靡かなかった哲学史家のエビングハウス(引用文中ではエッビンクハウス)のエピソードにふれているのだが、これが何とも興味深い。

私の教師のなかにユリウス・エッビングハウスという、歴史的意義ではハイデッガーと比べるべくもないが、辛辣で優れたカント学者がいた。彼はあの試練に立派に耐えることができた。私はそれを聞いて敬意を表するために、一九四五年マールブルクに彼を訪ねた。私には彼が確信に満ちた昔どおりの情熱をもっているように思われた。「覚えておいてよ、ヨナス君。カントをやっていたからそういうふうにできたんだ」。そのとき私のなかに閃光が瞬いたのである。ここには学問と人生の一致があったのだ。いったい誰のほうが哲学をしっかり守っていただろうか。深い洞察力があるにもかかわらず決断すべき時に忠誠を裏切った創造性にあふれた大家のもとにであったか、それとも、創造的ではないが、純朴な生一本の学者のもとにであったか。今日に至るまで私はこの問いに答えを出していない。しかし私が思うに、もうこの問いは未解決のままで今世紀の哲学の回顧に属するのである。

「覚えておいてよ、ヨナス君。カントをやっていたからそういうふうにできたんだ」。エビングハウス先生はそうおっしゃったわけだが、もちろんすべてのカンティアンがそうできたわけではない。かのアイヒマンもカントを愛読していたそうだから。
ただ、エビングハウス先生の真意を忖度すれば、カントをやれば誰でもそうできたと言うつもりではなく、自分にとってカント研究はナチスの誘惑や圧力をはね返しうるほどの、自分の人生の背骨のようなものでありえた、ということなのだろうと思う。
覚えておいてよ、哲学をやるっていうのはそういうことなんだよ、と、キルケゴール研究に打ち込んでおられた私の恩師の声が聞こえてきそうな気がした。