2010年・今年の10冊

ちらほらと「今年の何冊」を挙げておられる方々がいて、私もそろそろと思いながら、今年はちょっと困っている。例年通り、今年刊行された新刊の中から選ぼうとすると、10冊そろわない。
他の方はどうされているのかと見てみると、「自分が今年読んだ本」の中から10冊選ばれている方もいる。私も最初からそうしておけばよかったのにと悔やまれるが、今さら方針を変えるのも口惜しい。
そこで、次善の策として、今年、文庫で再刊されたものも含めさせてもらう。
番号を振ってあるが意味はなく、順不同。

1.バウッダ[佛教]

バウッダ[佛教] (講談社学術文庫)

バウッダ[佛教] (講談社学術文庫)

厳密には昨年末に刊行された本だが、私にとっては忘れられない一冊となった。
http://d.hatena.ne.jp/t-hirosaka/20100218/1266484095

2.『純粋理性批判』を噛み砕く

『純粋理性批判』を噛み砕く

『純粋理性批判』を噛み砕く

これまた鮮烈な出合い方をした本。
http://d.hatena.ne.jp/t-hirosaka/20101011/1286764167

3.奇談雑史

奇談雑史 (ちくま学芸文庫)

奇談雑史 (ちくま学芸文庫)

幕末の平田篤胤門下の国学者による奇談集。おもに関東一円の奇談が集められている。
こういう話が大好きなので。

4.再生産について

再生産について 上 イデオロギーと国家のイデオロギー諸装置 (平凡社ライブラリー)

再生産について 上 イデオロギーと国家のイデオロギー諸装置 (平凡社ライブラリー)

再生産について 下 イデオロギーと国家のイデオロギー諸装置 (平凡社ライブラリー)

再生産について 下 イデオロギーと国家のイデオロギー諸装置 (平凡社ライブラリー)

アルチュセールの代表作の一つだろうが、恥ずかしながら今回文庫化されるまで読んでいなかった。
アルチュセールイデオロギー論は、狭い意味でのマルクス研究を越えて、いろいろな分野で利用されていることは知っていたが、今回読んでみて、思っていた以上に重要な著作であると感じた。安易な感想は差し控える。

5.西巷説百物語

西巷説百物語 (怪BOOKS)

西巷説百物語 (怪BOOKS)

巷説百物語」シリーズの最新作。「桂男」、「遺言幽霊 水乞幽霊」、「鍛冶が嬶」、「夜楽屋」、「溝出」、「豆狸」、「野狐」の七編からなる連作短編集。各編のタイトルは江戸時代の怪談集『絵本百物語』に出てくる怪異伝説からとられており、伝説が暗示する事件を主人公が鮮やかに解決していく筋書きはこの作者の独壇場。物語の舞台は、「西巷説」(にしのこうせつ)と銘打たれているように、上方すなわち江戸時代後期の大阪。その大阪で活躍した井原西鶴世間胸算用』『日本永代蔵』の世界へのオマージュも散りばめられていて興味が尽きない。
 江戸が武士中心の町なら、大阪は商人をはじめとする町人の町である。登場するのは船問屋の主、両替商の息子、刀鍛冶、浄瑠璃人形遣い、庄屋、造り酒屋、船宿の女将、この面々の持ち込む奇妙な依頼に挑むのが帳屋(文具商)の林蔵とその怪しげな仲間たち。「強気にならんと負ける」、「呑みに掛かって来たら呑み返せばええのんや」、「貧乏は負け」、「お互い様やないか。狐と狸の化かし合いやで」、そんな赤裸々なセリフが飛び交う。欲に目がくらみ我を忘れた人々の悪あがきがこの世のものとは思えぬ怪異を呼び込む。怪異に踊る人々に林蔵が啖呵を切る。「勘違いしたらあかんで。やられたらやり返す、喰われたら喰い返す、世の中あんたみたいな人ばかりと思たら大間違いや」。痛快時代劇である。

6.パウロの政治神学

パウロの政治神学

パウロの政治神学

 一見すると分厚く難解な学術書の体裁だが、実はたいへん読みやすく、かつ、やはり難解な本である。読みやすいというのは、講演の記録である本書は平易な話し言葉で訳されており、その訳文もていねいで日本語の文章として読んでわからない箇所はない。すらすら読めてしまう。それでも難解だというのは、本書のテーマが、初期キリスト教使徒として活躍したパウロの「ローマ書」を政治神学という視点から読み解くという、私にはなじみのないものであったうえ、本書を読む前に、最低限、新約聖書の「ローマ書」を読んでおく必要があるからである。このようなハードルはあったけれども、読んでみれば実に面白い本だった。
 本書の成立事情は一つのドラマだ。著者タウベス(1923-87)は、ドイツ生まれのユダヤ人で、アメリカ、イスラエル、ドイツの大学で宗教史やユダヤ教を講じてきた碩学だが、晩年、ガンに冒され余命いくばくもない身体に鞭打って行った連続講義の記録が本書である。講義の行われた数週間後にタウベスは没した。本書はいわば彼の遺書のようなものであり、若い世代に何かを伝えたいという気迫が全編にみなぎっている。本書は内容においてもドラマに満ちている。政治神学という視点は、ナチスに関与したことでも知られる政治学カール・シュミットのものである。本書ではタウベスとシュミットとの浅からぬ因縁が語られ、「ローマ書」解釈をめぐって両者の思想的対決が行なわれる。また、ベンヤミンアドルノら20世紀思想史の巨匠たちとの交流を踏まえた議論も展開される。「今だから話せる」といった貴重なエピソードもあって飽きなかった。

7.和辻倫理学を読む

和辻倫理学を読む もう一つの「近代の超克」

和辻倫理学を読む もう一つの「近代の超克」

「和辻倫理学」とは、近代日本を代表する独自の体系的倫理学と評されることもある倫理学者・和辻哲郎の倫理思想のことを指すとともに、和辻の主著『倫理学』のことでもある。「何々を読む」というタイトルの本は、「何々」の箇所に難解で知られる古典的名著の題名が当てられ、それを著者がわかりやすく解説してみせるという趣向のものが多い。しかし、本書はそうした解説書の類ではない。そもそも和辻哲郎の文章はどちらかといえば平易な部類に入り、わざわざ解説されなくてもたいていの人にとって読めるものだろう。本書の著者にとって「読む」とはそのような解説作業のことではない。本書に和辻倫理学の解説を期待する読者は、読みすすめるうちに途方に暮れるだろう。なぜなら著者は「私はここで和辻の『倫理学』を倫理学として読もうとするではない」と言うのだから。著者が読もうとするのは、和辻の『倫理学』という著作が発する「過剰なメッセージ」である。
 和辻『倫理学』は、現在では岩波文庫で四分冊で刊行されているが、元来は上・中・下の三巻本として、上巻は戦前の昭和一二年(一九三七)、中巻は戦中の昭和十七年(一九四二)、下巻は戦後の昭和二四年(一九四七)に刊行されている。そして敗戦の翌年、「和辻は中巻第四刷の刊行に当たって中巻の修正をほどこした」、このことに著者は着目する。何を?どのように?なぜ?修正したのか、それはどのような意味をもつのか。和辻倫理学の構想にさかのぼり、その展開をたどりながら、和辻と昭和という時代との関わりを読み解いていく。著者は和辻『倫理学』を「異様」と評しているが、歴史への深い洞察と推理小説のような謎解きの面白さを兼ね備えた本書もまた別の意味で異様な一冊である。

8.ミドルクラスを問いなおす

ミドルクラスを問いなおす?格差社会の盲点 (生活人新書)

ミドルクラスを問いなおす?格差社会の盲点 (生活人新書)

総選挙で熱狂的な支持を受けた小泉首相(当時)が「改革なくして成長なし」と叫んでいたとき、その「改革」によって日本社会がどう変わるのかがわかっていた人はそれほど多くはなかった。今ではその帰結は誰もが知っている。いわゆる格差社会論ではフリーターやワーキングプアなど「負け組」が注目されているが、著者は「しかし「勝ち組」とは誰かが見えてこない」と言う。「勝ち組」と言えば、ホリエモンとかヒルズ族のような人はいる。だが、著者が注目するのは、そうした一握りの人々ではなく、中流(以上)のミドルクラスである。本書でのミドルクラスとは、年収などの経済的条件によって定義されるものではなく、「資本による労働力の商品化の圧力に対して「個人単位」の上昇志向によって対応しようとする戦略を採用する人々」だとされる。つまり、ネオリベラリズムに適合するようなライフスタイルを選びとった人々の総称である。本書前半は、なぜネオリベラリズムが支配的になったのかという問題を解く鍵が、このミドルクラスの動向のうちにあると見て、戦後日本の高度経済成長時代の「総中流社会」を分析する。後半では、欧米の事例と理論を検討しながら、資本主義のオルタナティブを探る。前著『魂の労働』(青土社、二〇〇三)において一早くネオリベ改革の末路を予測していた社会学者による現在の分析。しかし、その現在もすぐに過去になってしまうことを思うと、もう少し長い射程のレンズも必要かもと欲張りなことも感じた。

9.ゴーレムの生命論

ゴーレムの生命論 (平凡社新書)

ゴーレムの生命論 (平凡社新書)

ユダヤ教の秘法によって土から作られる人造人間、ゴーレムと。秘儀に達したラヴィが、泥土をこねあげて作った人形に呪文を唱えると、土人形にかりそめの命が与えられる、それは人間のようであって人間ではない、人間より力は強いが話すことができない、そういう伝説がある。著者はこの「ゴーレム的なもの」のイメージを文学や映画などのうちにたどることによって、人間とは何か?生命とは何か?という大きな問いに、いわば裏側から接近しようと試みる。
 著者がゴーレム的なものに着目するのは、「人間未満の人間」という問題系を浮かび上がらせるためである。そのために第一部ではユダヤ教に伝わるゴーレム伝説をやや詳しく取り上げ、第二部ではS・モーム『魔術師』、映画『エイリアン』、ホフマン『砂男』、チャベック『ロボット』などの人造人間や怪物のイメージに「ゴーレム的なもの」の残響を聴き取る。文学や映画などにおける表象を取り上げるのは、「虚構や仮象を介して事実を見たときの方が、事実そのものの地平がより遠くまで見通せるということもある」からだという。確かに事実や史実を掘り下げるだけでは見えてこない問題の拡がりというものがある。本書第三部「ゴーレムよ、土に帰れ」では、「ゴーレム問題の圏域自体に拡がりと多様性を与えること」によって、生命のようなもの(未然の生命)、人間のようなもの(亜人間)という領域に光をあてる。それは、生命をもてあまし、もてあそび、切り捨てる人間のあり方を問いなおす契機を見いだすための試みである。

10. 切りとれ、あの祈る手を

あちこちで評判になっているようだから贅言は控える。私はmatsuiismさんに教わった。責任を取ってほしいものだ。
http://d.hatena.ne.jp/matsuiism/20101202
来年はどんな本を読むことになるのだろう。

追記・番外.正義論

新刊書店で買って読んだ本に限ったので上のような結果になったが、買っちゃったけれども読んでいない本もある。そのうちの一冊は、やはり今年のニュースとしてふさわしいもののように思われるので、見栄を張ってあげてきたい。

正義論

正義論


まだ読んでいないが、感想はある。厚くて重い。