1985年の「共同幻想」

昨日、内輪の勉強会で発言した要旨。
 1985年は、実話系怪談マニアにとって記念すべき年だった。宮田登『妖怪の民俗学』、小松和彦『異人論』、赤坂憲雄『異人論序説』と、民俗学文化人類学の分野から、怪異を語るためのツールとなりそうな業績が立て続けに刊行された。他に関連するものとして、今村仁司『排除の構造』、上野千鶴子構造主義の冒険』、大森荘蔵『知識と学問の構造』も1985年に出版されている。これらによって、それまで心霊主義か、せいぜい心理主義的にしか語られてこなかった怪異を社会現象としても語る道具立てが出てきた。
 ところでこの頃「共同幻想」という言葉は、オカルトファンにとっては面白くない響きのある言葉だった。怪異の体験的リアリティを語っても左派系の科学主義者から「そんなの、しょせん共同幻想でしょ」と片づけられることが多かったからである(今なら疑似科学か)。もちろん、そこでの「共同幻想」という語は吉本隆明の言う意味とは違う、集団催眠というようなニュアンスにすぎなかったけれども、1982年の『共同幻想論』文庫化によって、サブカルの領域にこの言葉が進出してきたことを示すエピソードでもあろうか。
当時、民俗学などで『共同幻想論』がどう受けとめられていたのか、おさらいしておく。

宮田登『妖怪の民俗学』(岩波書店、初版1985.2)の場合

 宮田登(1936生)は『妖怪談義』における柳田国男の幽霊と妖怪の区別について述べながら、次のように言っている(引用は、同時代ライブラリー版より)。

 妖怪とは一般に、人々の共通心意にもとづいた、幻覚とか幻聴から説明されてくる現象である。共同幻覚とか幻聴を通して、不思議なものを認めようとする場合、「妖怪」としてイメージされたのである。柳田国男は妖怪と幽霊を分け、共同幻覚、幻聴にもとづく妖怪と個人的な幻覚・幻聴にもとづく幽霊とは同様に見えるにしても、時間と場所を基準に弁別することができることを説明しようとしたのである。(p17)

 「共同幻想」という用語は使われていないが、「共同幻覚、幻聴にもとづく妖怪」、「個人的な幻覚・幻聴にもとづく幽霊」という表現に、吉本の「共同幻想」と「自己幻想」という用語を連想させるものがある。ただし、山口昌男の『共同幻想論』書評(「幻想・構造・始原」『人類学的思考』所収))でも指摘されているように、『共同幻想論』の道具立ては、民俗学・人類学の研究者なら周知のものばかりだったそうだから、この程度の類似から、宮田が吉本を意識していたとは言えない(たぶんしていない)。
 なお宮田妖怪学には、吉本の「対幻想」にあたる言葉は出てこない。宮田は柳田の「妹の力」を「女性が持っているスピリチュアルパワー」(宮田、P235)と言い換えて、女というセクシュアリティに内属するものとして語る傾向がある。ジェンダー論を先取りしたかのような吉本『共同幻想論』との大きな違いである(例えば「巫覡論」p98を参照)。

小松和彦『異人論』(青土社、初版1985.7)の場合

 小松和彦(1947生)は、別冊文藝『現代思想の饗宴』(河出書房新社、1986)に寄せた「「異人論」以前及び以後」と題した談話で「吉本隆明の『共同幻想論』は、私の異人論の出発点になっていると私自身は考えています」と述べている。また、同書中、小松による山口昌男へのインタビュー「思想のパフォーマンス」にも、山口の『共同幻想論』書評について、吉本に「魅せられていた私たち」(小松)に対して、「吉本氏を崇拝している、吉本氏をスコラ的に読み解こうとするエピゴーネンの集団に異議を唱えただけであって」、「だからあれは自閉的になりがちな小松君の世代に水をかけたかもしれないけれどね」(山口)という興味深いやりとりが収められている(p104)。
 さて、小松が自ら『共同幻想論』が出発点となったという『異人論』において、当の『共同幻想論』が引かれるのは、同書の第一論文「異人殺しのフォークロア」三「異人殺し」伝説のメカニズム、中の次の段落である。(引用は、ちくま学芸文庫版より)

 ある意味で、民俗社会における“歴史的事実”としての「異人殺し」伝承は、日本民俗社会における“歴史学的事実”としての「異人殺し」を告白しているのだともいえるかもしれない。シャーマンは、民俗社会の深層のコスモロジーに語りかけることで、二重の意味での“歴史家”の役割を果たしていたというわけである。吉本隆明風に述べれば、シャーマンは、実際には「民俗社会」のいだく「共同幻想」を呼び出しそれに憑かれたのである。(p34)

 ここで念頭に置かれているのは「巫覡論」だろうと思われる。吉本は〈いづな使い〉の伝承を挙げて次のように言っている。

ここでは村落の共同幻想の伝承的な本質は、はっきりと〈狐〉として措定される。そして狐使いは、作為的であるかどうかにかかわりなく、〈狐〉という共同幻想の象徴にじぶんの幻覚を集中させれば、他の村民たちの心的な伝承の痕跡をもここに集中同化させることができると信じられている。(吉本、p91)

 あるいは「憑人論」の「個々の幻想は共同性の幻想に〈憑く〉のである」(吉本、p76)が想定されているかもしれない。
 ともあれ、シャーマンは「「民俗社会」のいだく「共同幻想」を呼び出しそれに憑かれ」てみせることによって、「民俗社会」構成員の信頼を調達し、その信頼によって、原因不明の「祟り」を解決する。小松が吉本から継承したのはこの視点であろう。シャーマンの「説明」によって「事実」が再構成されるという視点は、例えば、京極夏彦(1963生)の妖怪小説にも踏襲されていく。
 しかし、吉本がもっぱら柳田『遠野物語』を手がかりに論じるのに対して、小松『異人論』は柳田に依存せず、自ら収集した伝承も含めて、幅広く集めた資料をもとに組み立てられており、「吉本氏をスコラ的に読み解こうとするエピゴーネン」(山口)ではないのはもちろんだ。

赤坂憲雄『異人論序説』(砂子屋書房、初版1985.12)の場合。

赤坂憲雄(1953生)は『異人論序説』において、吉本『共同幻想論』に言及しながら次のように言う(引用は、ちくま学芸文庫版より)。

ところで、私たちの山人譚にたいする関心は、心的体験のリアリティ、つまり幻想の共同性として了解する吉本の方向からは、いささか逸脱する。わたしは山人譚を、共同体の最奥部に埋めこまれた、ひとつのアイデンティティ維持装置とかんがえている。(赤坂、p112)

赤坂が言及しているのは、『共同幻想論』の最初の章「禁制論」である。そこで吉本は、柳田国男遠野物語』中の山人譚を引いて「恐怖の共同性」について論じている(吉本、p53)。そして赤坂もまた同じの山人譚を引いているのだから、読みようによっては吉本に挑んでいるようにも見えなくもない。しかし、両者の解釈の優劣を判定することよりも、別のところに注目したい。
 怪異現象を扱う上で、伝承者の「心的体験のリアリティ」を重視することは、言葉は違っても宮田や小松にも共通する構えだともいえる。もちろん、赤坂もそれを共有しているが、その上でそこから「逸脱する」と言う。ただし、この言い方自体が吉本『共同幻想論』中に範例があるようにも見える。

 柳田国男が、この種の山人譚からひき出したのは〈恐怖の共同性〉ではなかった。山は人間の霊があつまり宿るところだという高所崇拝の信仰に、民俗的な類型と血肉をつけてさしだすことであった。(吉本、p61)

 ここで吉本は、柳田が「この種の山人譚からひき出した」ものと、自分がそこから読みとったものの違いを強調しようとしている。赤坂もまた吉本に対して同じことをしている。同じテキストに対して先人とは違う読み出し方をすることを意識する、その際、柳田『遠野物語』の「山人譚」を特権的なテキストとみなす、という点で、赤坂の言う「逸脱」は、同時に継承でもある。
 しかし、違いもまた認めなければならない。赤坂が「山人譚を、共同体の最奥部に埋めこまれた、ひとつのアイデンティティ維持装置」と考えると言うとき、その共同体とは、「“家の貴さ、血の清さ”を証明し、“眷属郷党の信仰”を統一するための、いわば家自身のアイデンティティ維持装置」(赤坂、p114)が必要とされるような共同体である。他方、吉本が想定しているのは、「閉じられた弱小な生活圏」、「貧弱な共同社会」(吉本、p64)である。この違いに意味があるのか、あるとすればどう考えるか。