口裂け女発祥の地

sumita-mさんが「「口裂け女」って岐阜市が「発祥の地」だったのか」と書いておられる。
http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20120708/1341762741
sumita-mさんはこの方面にお詳しい方なので、釈迦に説法、余計なお世話と思いながらも、あいにく「故宮田登先生の『妖怪の民俗学』ではどのように言及されていたか。といっても、この本は今手許にない」とのことなので、『妖怪の民俗学―日本の見えない空間 (同時代ライブラリー)』を引っ張り出したところ、意外なことに気がついた。
最初に結論から言うと、口裂け女(の噂の)発祥の地は、sumita-mさんが引いておられる読売新聞の記事にあるとおり、岐阜県である(岐阜市に限定されるわけではない)。岐阜から日本中に広まった過程については、例えば、室生忠都市妖怪物語―現代の不思議と恐怖 (三一新書)』(三一新書)などで追跡されている。
ところが、故宮田登先生の『妖怪の民俗学』ではどういうわけだか岐阜という地名が出てこない。
「スポーツ・ニッポン」紙(1979年5月21日付)の、「世にも怖い「口裂け女」が南国、宮崎に出没」したことを報じる記事のコピーを1頁丸ごと使って大きく掲載し、「口裂け女の姿形はまた伝統的な、妖怪である山姥のイメージにもよく似ているのである」として、次のように書いている。

山姥の伝承を調べてみて興味深いのは、山姥が、お産をするときに里の世界にあらわれてくるというものである。里に降りてきて、里人に出産の手助けを求めるという形をとる。この話は熊本県とか大分県に多く分布している。

これだけ読むと、口裂け女は九州の特産品のような印象がある。熊本と大分に多く分布する山姥伝説が現代の宮崎県でよみがえったと受け取られかねない書きようで、私のような粗忽者は、三県は隣接しているからそんなこともあろうかとうっかり納得してしまいそうだ。
もちろん、宮田先生は口裂け女は九州産だと言っているわけではないし、別のところでは岐阜産だということを書いておられたような気もするが、『妖怪の民俗学』での書き方はちょっとヘンだ。
この口裂け女を取り上げた文章は、このあと鬼女のイメージをたどって島根の濡れ女、長崎の磯女に言及しているので、あるいは、執筆時にとり組んでおられた資料が西日本のものだったのかもしれない。