ハロウィンの夜に「妖怪学」

ったく、この忙しいのに…、sumita-m先輩のご指名だからしかたがない。
http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20161029/1477756878
小松和彦氏が文化功労者に選ばれたと、それはいいとして、朝日新聞が小松氏を紹介するのに「「妖怪学」の小松和彦国際日本文化研究センター所長(69)」とやっちゃったおかげで、sumita-m先輩としては身近なところに茶も珈琲もないという厳しい環境で、へそで茶を沸かしたり、珈琲を吹いたりしなければならなかったのでご立腹である。そこで、これ広坂、なんとかいたせ、とあいなった次第。
ここのところ、一日おきのペースで徘徊老人(老父)の捜索に駆り出されているので、気力体力ともにすり減り、なにか調べてから新しげに見える論点の一つも付け加える余裕もないのだが、おだててもらったので言わずもがなのことを書き留めておく。
新聞にある「妖怪学」という言葉の使い方は、なんだかこの夏、江戸東京博物館でやっていた「大妖怪展」を思い起こさせる。平安・室町・江戸と妖怪画を見せた後で、なぜか縄文土偶が出てきて、最後にポケモンのキャラクターという展示であった。なんですかこれは、縄文土偶が日本の妖怪イメージの源流のように見えてしまうではないですか。しかもそれが現代のゲームやアニメにまで直接つながっているように思ってほしいのですか。それは誤解を植え付けるだけでしょうというくらい、噴飯ものの展示であった。
もう一つ、連想したのは、今夜、老父が放置してきた電動車椅子を力づくで回収し、興奮してよくわからないことをしゃべり続ける老父を寝かしつけた帰途、京王井の頭線の駅で見た渋谷からの電車からどっと吐き出された和製ハロウィンの群れである。英語圏の伝統文化とのつながりをもたない日本で、アメリカ流ハロウィンのかたちだけ真似してもねえ。まあ、若い人たちが楽しんでいるのだから、目くじらを立てるほどのことでもないかもしれないが。
日本語としての「妖怪学」は、sumita-m先輩も私もお世話になった東洋大学創立者井上円了によって、怪異現象全般を学際的に扱う知の体系として構想されたものである。「妖怪学」というネーミングの由来については、確証はないが、おそらくはホッブズリヴァイアサン』のデモノロジー悪魔学)が念頭にあったのではないかと私は考えている。円了妖怪学はまさしく哲学の予備門なのである。
これに対して、現在、妖怪学と呼ばれているものは、宮田妖怪学にしても小松妖怪学にしても、柳田国男の創始した日本民俗学の系譜にある。柳田の『妖怪談義』がその代表であり、しかもこの『妖怪談義』には円了妖怪学へのあてこすりがあるという由々しき代物なのである。ただし、宮田妖怪学は円了妖怪学に対して思いのほかフェアな扱いをしているので個人的には好感を持っている。これについては以前にWeb評論誌「コーラ」24号に寄稿した文章をご参照いただきたい。↓
http://homepage1.canvas.ne.jp/sogets-syobo/sinrei-7.html
小松妖怪学については、sumita-m先輩の言う通り、その業績の中核部分は『悪霊論―異界からのメッセージ (ちくま学芸文庫)』などの憑きもの研究であって、現代のキャラクター化されたかわいい怪獣のような妖怪についてではない。
小松の『異人論―民俗社会の心性 (ちくま学芸文庫)』などの初期の仕事は、吉本隆明山口昌男という二つの中心を持つ楕円から出発していることは、以前このブログでもご紹介したとおりである。↓
http://d.hatena.ne.jp/t-hirosaka/20080926/1222401324
これは私の独自研究ではなく、小松氏自身が語っていることから無理なく推測されることである。だから小松妖怪学(そういうものがあるとして)は、柳田民俗学直系というよりは、その出発点においては開放的関心と文化人類学構造主義と親しい背景をもって出発した。そうした小松の学問を、ジャーナリズム用語としての「妖怪学」すなわちファンタジックなキャラクターの分類学でくくってしまう新聞記者の軽率を、sumita-m先輩は嗤うべきこととして嘆いておられるのだろう。
ましてや円了妖怪学を念頭に置くなら、「妖怪学」とはそもそもなんぞや、と小一時間も問い詰めたいところだろうと拝察する。
もっとも小松和彦氏には『妖怪学新考 妖怪からみる日本人の心 (講談社学術文庫)』という著書もあるのだから、目くじらを立てなくてもよいのではとも思わないでもない。
亡き祖母や伯母と語り合いながら徘徊する老父を追いかけまわして息切れしている私に言えることはこの程度である。お許し願いたい。