写経・キサー・ゴータミー長老尼偈

先日の映画「禅」についての記事(http://d.hatena.ne.jp/t-hirosaka/20090125/1232862613)で「キサー・ゴータミーと芥子の実の話」にふれたけれども、不完全だったので、それへの補遺。

キサー・ゴータミー長老尼の偈

尼僧の告白―テーリーガーター (1982年) (岩波文庫)』より、キサー・ゴータミー長老尼のものとされる偈を引く(前掲書、p49-p50)。

「世の人々のことについて、聖者〔ブッダ〕は、善き友と交わることをほめたたえられました。善き友たちに親しむならば、愚者でも、賢者となるでありましょう。
立派な善人たちに親しむべきである。そのように〔立派な〕人たちに親しむ人々の智慧は、増大します。立派な人たちに親しむならば、かれは、あらゆる苦しみから脱れるでありましょう。
ひとは、四つの尊い真理、すなわち−−苦しみと、苦しみの生起と、〔苦しみの〕終滅と、そして、八つの実践法よりなる道(八正道)とを識知すべきであります。
『婦女の身であることは、苦しみである』と大丈夫をも御する御者(ブッダ)はお説きになりました。(他の婦人と)夫をともにすることもまた、苦しみである。また、ひとたび、子を産んだ人々も〔そのとおりで〕あります。
か弱い身で、みずから首をはねた者もあり、毒を仰いだ者もいます。死児が胎内にあれば、両者(母子)ともに滅びます。
わたしは、分娩の時が近づいたので、歩いていく途中で、わたしの夫が路上に死んでいるのを見つけました。わたしは、子どもを産んだので、わが家に達することができませんでした。
貧苦なる女(わたし)にとっては二人の子どもは死に、夫もまた路上で死に、母も父も兄弟も同じ火葬の薪で焼かれました。
一族が滅びた憐れな女よ。そなたは限りない苦しみを受けた。さらに、幾千〔の苦しみの〕生涯にわたって、そなたは涙を流した。
さらにまた、わたしは、それを墓場のなかで見ました。−−子どもの肉が食われているのを。わたしは、一族が滅び、夫が死んで、世のあらゆる人々には嘲笑されながら、不死〔の道〕を体得しました。
わたしは、八つの実践法よりなる尊い道、不死に至る〔道〕を実修しました。わたしは、安らぎを現にさとって、真理の鏡を見ました。
すでに、わたしは、〔煩悩の〕矢を折り、重い荷をおろし、なすべきことをなしおえました。」
と、キサー・ゴータミー長老尼は、心がすっかり解脱して、この詩句を唱えた。

「キサー・ゴータミーと芥子の実の話」

上記引用文につけられた訳者・中村元氏の訳注より(前掲書、p108下段)。

キサー・ゴータミー尼の告白は人生の悲惨をものがたっている。彼女はサーヴァッティー市(舎衛城)の貧しい家に生れ、やせていたから、キサー(やせた)・ゴータミーと言われていた。嫁して男子を産んだが、死なれ、その亡骸を抱いて「わたしの子に薬をください」といって町中を歩き廻った。これをあわれんだブッダは「いまだかつて死人を出したことのない家から、芥子の粒をもらって来なさい」と教えた。しかし彼女はこれを得ることができなかった。彼女は、ハッと人生の無常に気付いて出家した。尼僧のうちでは、粗衣第一といわれた。以上のことは一般の人々の経験する〈死〉についての反省であるにとどまるが、その告白は痛烈である。

この訳注ではこの説話自体の出典は示されていないが、深く経蔵に入りて学べば出てくるのだろう。

ウッピリー尼の偈

先日の日記では「キサー・ゴータミーのものと伝えられる偈で語られているのは、もう少しシンプルな話だったように記憶しているが」云々とも書いた。しかしこれは、ウッピリー尼の偈と混同していたからだった。
無知を恥じつつこれも写経(前掲書、p19)。

ブッダは語った、−−〕母よ。そなたは、「ジーヴァーよ!」といって、林の中で泣き叫ぶ。ウッピリーよ。そなた自身を知れ。すべて同じジーヴァーという名の八万四千人の娘が、この火葬場で荼毘に付せられたが、それらのうちのだれを、そなたは悼むのか?
〔ウッピリーは、ブッダに答えた、−−〕「ああ、あなたは、わが胸にささっている見難い矢を抜いてくださいました。あなたは、悲しみに打ちひしがれているわたしのために、娘の〔死の〕悲しみを除いてくださいました。
いまや、そのわたしは、矢を抜き取られて、飢え(妄執)の無い者となり、円かな安らぎを得ました。わたしは、聖者ブッダと、真理の教えと、修行者の集いに参加します。」

子どもを亡くした母親の悲しみを語った偈は他にもある。いずれも古代社会における女性の苦しい立場が反映されているのだろう。