フランシーヌ人形

デカルトが五歳で亡くした愛娘フランシーヌの生前の姿をそっくり写しとった人形を所持していたという伝説は有名である。

方法序説・情念論 (中公文庫)

方法序説・情念論 (中公文庫)

しばらく前のことだが、「少年サンデー」誌に連載されていた藤田和日郎の長編漫画『からくりサーカス』を愛読していた。意思を持った自動機械(オートマータ)と操り人形を武器とする一党との戦いを描いた大冒険活劇である。その作中に「フランシーヌ人形」という言葉が出てきた。あれ、これはデカルトのあの逸話をモデルにしているんだろうなあと思ったら、頭の中でむくむくと妄想が広がった。
中公文庫版『方法序説』の表紙に掲載されている肖像画の顔をしたデカルトが炉部屋でくつろいでいると、エリザベート王女から手紙が届く。
デカルト=エリザベト往復書簡 (講談社学術文庫)

デカルト=エリザベト往復書簡 (講談社学術文庫)

「このたびは先生の叡智だけではなく、お力をもお借りしなくてはならない問題が起こりました云々」と、貴族社会に起きたある問題を内密のうちに解決してほしいとの依頼である。
読み終えてしばし沈思黙考していたデカルトは、やおら立ち上がって手紙を暖炉にくべると、「フランシーヌや、すまないが仕事を頼まれておくれ」と声をかける。そうすると、窓辺の椅子にちょこんと置かれていたフランシーヌ人形の目に生気が宿り、「はい、お父さま、今度はどんな御用でしょう」と返事をする。こうしてフランシーヌの冒険が始まる。
デカルト以外は藤田和日郎の絵柄のキャラクター。密偵役のフランシーヌがピンチに陥ると、デカルトが剣をふるって助太刀することも。ラストは毎回、デカルトエリザベート宛てに事件の顛末を報告する手紙を書くところで終る。
こんなマンガがあったら読みたいなあ、と妄想にふけったものだった。ただ、絵柄については、後にアニメ『攻殻機動隊』を視て以来、そちらに引きずられるようになったけれども。
ところで、このフランシーヌ人形の逸話は、澁澤龍彦の「デカルト・コンプレックス」というエッセイにもちょっと出てくるが、学生時代にどこかでまとまった記述を読んだはずなのに、それが何だったかが思いだせなかった。
一応、手元には十冊程度のデカルト研究書があるのだが、学生時代に愛読したグイエの『人間デカルト』をはじめ、どこにも出てこない。なんだったのだろうとぼんやり思っていたが、まじめに探すわけでもなく、そのままになっていた。
ところが、このあいだ別件の調べものをしていて、たまたま取りだした種村季弘怪物の解剖学 (河出文庫)』にあった。題名は「少女人形フランシーヌ」、たぶんこれで読んだのだろう。種村のエッセイは、内容としては「デカルトと女性性」というテーマ設定で、竹田篤司が『デカルトの青春―思想と実生活 (1976年)』で論じていたのを先に読んでいたためか、あまり新味を感じなかったが、話の運びは面白いし、人形伝説の典拠らしきものも挙げている。これが日本におけるフランシーヌ人形伝説普及に果たした役割がどれほどかはわからないが、少なくとも私はこれを読んで脳裏に刻んだのに違いない。
ちなみに、ド・サスィーの評伝『デカルト』にも引かれているシャニュ宛て書簡によれば、デカルトは幼いころ同じ年頃の、やぶにらみの少女が好きだったそうだ。以来、どういうわけだか、やぶにらみの女性に惹かれる。ある時、これは初恋の印象に引きずられているのだと気がついて、以後、あらためた、というのだが、私はこの話、どうも怪しいと感じている。
デカルトが、斜視気味の女性が好きだったのは事実だろう。そして、それが初恋の思い出につながっていることもそうだろう。そのことに気づいたというところまでは納得する。しかし、自分の習慣の原点を自覚したくらいで習慣があらたまる、というのは眉唾だ。人間の精神の習慣はそんなに簡単に変えられるものではない(この点では私は保守主義者である)。それに、斜視気味の女性に好印象を持つ習慣をあらためなければならない積極的な理由が思い浮かばない。
これは結局、理性による自己の統御というデカルト哲学のセールスポイントをアピールしたかったからこう書いたのではないかと邪推している。本当は、デカルトは生涯、斜視気味の女性に惹かれたのではないか、と想像する。
こうした、根拠のない推測によって、私の妄想のなかのフランシーヌも、その姿を写した人形も斜視である。

追記(2014.10)・澁澤龍彦「人形愛あるいはデカルト・コンプレックス」

デカルトが愛娘フランシーヌに似せた人形を持ち歩いていたという伝説について、この記事を読まれる方も多いようなので補足しておく。
「フランシーヌ人形」と題した上記の文で、私は種村季弘『怪物の解剖学』所収の「少女人形フランシーヌ」を挙げているが、これはあくまでも私の読書経験において印象に残っていたものという意味にすぎず、種村のエッセイが本邦初紹介の記事というわけではない。
澁澤龍彦『幻想の画廊から』に「人形愛あるいはデカルト・コンプレックス」と題したエッセイがあって、これの初出が1966年だそうだから、これはかなり早い。おそらく日本の一般読者にフランシーヌ人形の伝説を紹介したのは澁澤だったのではないかと思う。
ただし、このエッセイのなかでデカルトの逸話にふれている部分は意外に少なく、末尾の二段落だけである。

十七世紀の哲学者デカルトは、その娘の死をふかく悲しんで、一個の精巧な自動人形をつくらせ、これを「わが娘フランシーヌ」と呼んで愛撫したという。(中略)
このような自己愛の変形した心理を、わたしは「デカルト・コンプレックス」と名づけたいと思う。私は思うのだが、これはコギトの哲学者にとっても、真に名誉ある命名というべきではあるまいか。むろん、デカルトもまた、ラ・メトリイの先輩として、すべての動物を一種の機械と見なす立場をとっていたが、理性を有する人間はその限りにあらず、と考えていた。「肉体においては一切がメカニズムであり、精神においては一切が思惟である」と彼は述べている。

澁澤がデカルトについて語っているのはこの程度なのである。
だから、私は情報量の多い種村の「少女人形フランシーヌ」を挙げたのだった。ただし、種村のエッセイの初出は1973年なので、やはり澁澤の方が早い。
結論、フランシーヌ人形への言及は澁澤「人形愛あるいはデカルト・コンプレックス」が早い。しかし、読むなら種村「少女人形フランシーヌ」の方が内容が豊富である。