澁澤龍彦「人形愛あるいはデカルト・コンプレックス」

デカルトが愛娘フランシーヌに似せた人形を持ち歩いていたという伝説について、以前に書き飛ばした記事を読まれる方も多いようなので、ここに補足しておく。
http://d.hatena.ne.jp/t-hirosaka/20110524/1306228790
「フランシーヌ人形」と題した上記の文で、私は種村季弘怪物の解剖学 (河出文庫)』所収の「少女人形フランシーヌ」を挙げているが、これはあくまでも私の読書経験上、印象に残っていたものという意味にすぎず、これが初出というわけではない。
澁澤龍彦『幻想の画廊から』に「人形愛あるいはデカルト・コンプレックス」と題したエッセイがあって、これの初出が1966年だそうだから、これはかなり早い。おそらく日本の一般読者にフランシーヌ人形の伝説を紹介したのは澁澤だったのではないかと思う。
ただし、このエッセイのなかでデカルトの逸話にふれている部分は意外に少なく、末尾の二段落だけである。

十七世紀の哲学者デカルトは、その娘の死をふかく悲しんで、一個の精巧な自動人形をつくらせ、これを「わが娘フランシーヌ」と呼んで愛撫したという。(中略)
このような自己愛の変形した心理を、わたしは「デカルト・コンプレックス」と名づけたいと思う。私は思うのだが、これはコギトの哲学者にとっても、真に名誉ある命名というべきではあるまいか。むろん、デカルトもまた、ラ・メトリイの先輩として、すべての動物を一種の機械と見なす立場をとっていたが、理性を有する人間はその限りにあらず、と考えていた。「肉体においては一切がメカニズムであり、精神においては一切が思惟である」と彼は述べている。

澁澤がデカルトについて語っているのはこの程度なのである。
だから、情報量の多い種村の「少女人形フランシーヌ」を挙げたのだった。ただし、種村のエッセイの初出は1973年なので、やはり澁澤の方が早い。
結論、フランシーヌ人形への言及は澁澤「人形愛あるいはデカルト・コンプレックス」が早い。しかし、読むなら種村「少女人形フランシーヌ」の方が内容が豊富である。
(同文を当該記事にも転写した。)