ニーメラーの警句

ニーメラーの警句として知られる文章がある。先日、またこの警句を思い出させるような事件があった。丸山真男「現代における人間と政治」(『現代政治の思想と行動』所収)から孫引きする。

「ナチが共産主義者を襲ったとき、自分はやや不安になつた。けれども結局自分は共産主義者でなかつたので何もしなかつた。それからナチは社会主義者を攻撃した。自分の不安はやや増大した。けれども依然として自分では社会主義者でなかつた。そこでやはり何もしなかつた。それから学校が、新聞が、ユダヤ人が、というふうに次々と攻撃の手が加わり、そのたびに自分の不安は増したが、なおも何事も行わなかつた。さてそれからナチは教会を攻撃した。そうして自分はまさに教会の人間であつた。そこで自分は何事かをした。しかしそのときにはすでに手遅れであつた。」(Mayer,op,cit.,pp.168-169)

このニーメラーの言葉は典拠不詳のままアレンジされたりパロディ化されたりしている。私は学者じゃないので出典をこまごま書くのは好まないが、紹介者の丸山真男は学者だから出典を明記している。「ミルトン・メイヤーの『彼等は自由だと思っていた』(Milton Mayer,They Thought They Were Free,1955)」からの引用である(丸山、前掲書)。おそらく日本ではこの丸山の紹介によって広く知られるようになったのだろう(丸山が参照した原書はその後邦訳されている『彼らは自由だと思っていた―元ナチ党員十人の思想と行動』)。
丸山はこのニーメラーの言葉だけを独立して紹介したのではなく、チャップリンの映画『独裁者』の話題から話を切りだして、メイヤー(マイヤー)の著書からある言語学者の証言、法学者カール・シュミットの戦後の回顧などを引きながら全体主義がドイツ市民社会に浸透するプロセスを考察している。全文を引用したくなるほど、委曲を尽くした議論にうならせられた。ニーメラーの「告白」はそうした文脈のなかで引用されている。
このニーメラーの「告白」を引用して、丸山は次のように続ける(以下、現代仮名遣いの方が楽なので典拠を変える)。

こうした痛苦の体験からニーメラーは、「端初に抵抗せよ」(Principiis Obsta)、而して「結末を考えよ」(Finem respice)という二つの原則をひき出したのである。彼の述べているようなヒットラーの攻撃順序は今日周知の事実だし、その二原則もカール・シュミットのイロニーを帯びた「限界」説とくらべると、言葉としてはすでに何度も聞かされたことで、いささか陳腐にひびく。けれどもここで問題なのは、あの果敢な抵抗者として知られたニーメラーでさえ、直接自分の畑に火がつくまでは、やはり「内側の住人」であったということであり、しかもあの言語学者がのべたように、すべてが少しずつ変っているときには誰も変っていないとするならば、抵抗すべき「端初」の決断も、歴史的連鎖の「結末」の予想も、はじめから「外側」に身を置かないかぎり実は異常に困難だ、ということなのである。しかもはじめから外側にある者は、まさに外側にいることによって、内側の圧倒的多数の人間の実感とは異ならざるをえないのだ。(杉田敦編『丸山眞男セレクション (平凡社ライブラリー)』より)

ニーメラーの教訓は「何度も聞かされたことで、いささか陳腐」だと丸山は言っている。それどころか、「端初に抵抗せよ」、「結末を考えよ」と言ったって、それはほとんど不可能だとまで言っている。
メイヤー(マイヤー)の著書から丸山が引いているある言語学者ナチス時代の市民生活について「一つ一つの事件はたしかにその前の行為や事件よりも悪くなっている。しかしそれはほんのちょっと悪くなっただけなのです」、「戸外へ出ても、街でも、人々の集まりでもみんな幸福そうに見える。何の抗議もきこえないし、何も見えない」と証言している。「内側の圧倒的多数の人間の実感」とはそういうことである。
この内側の住人の実感「一般の国民の日常感覚」に対して、外側、「同じ世界のなかの異端者」「内側から外側にはじき出されていった人間」、すなわち体制の被害者や異端者や抵抗者にとっては「同じ世界はこれまで描かれて来たところとまったく異なった光景として現われる。それは「みんな幸福そうに見える」どころか、いたるところで憎悪と恐怖に満ち、猜疑と不振の嵐がふきすさぶ荒涼とした世界である」。内側「体制の同調者と消極的な追随者」の見ている世界と、外側、体制の被害者や異端者や抵抗者の見ている世界とでは、「真二つに分裂した二つの「真実」のイメージがあった」。

だから一方の「真実」から見れば、人間や事物のたたずまいは昨日も今日もそれなりの調和を保っているから、自分たちの社会について内外の「原理」的批判者の語ることは、いたずらに事を好む「おどかし屋」か、悪意ある誇大な虚構としか映じないし、他方の「真実」から見るならば、なぜこのような荒涼とした世界に平気で住んでいられるのかと、その道徳的不感症をいぶからずにはいられない。もしもこの二つの「真実」が人々のイメージのなかで交わる機会を持ったならば、ニーメラーのにがい経験を俟たずとも、「端初に抵抗」することは−−すくなくも間に合ううちに行動を起すことは、もっと多くの人にとって可能であり、より容易であったであろう。事実はまさにその交わりが欠けていたし、ますますそれが不可能になって行ったのである。(杉田敦編『丸山真男セレクション』より)

内側の「真実」と外側の「真実」が交わることができれば希望はあるわけだが、権力は両者を分ける壁を高く築き「二つの世界のコミュニケーションの可能性は遮断される」。そこで、この二つの世界の中間領域の住人であるリベラルの役割が重要になってくる。

しかしリベラルであるということが、たんに自分の外の世界からのさまざまな異った通信(ここでいう通信とはマス・メディアだけでなく、広く外界の出来事が自分の感覚に到達するプロセスを指す)を受容する心構えをもち、その意味で「寛容」であるというだけなら、それはこの境界領域の多数住民のむしろ自然的な心理状態にすぎない。しかしひとたびこうした領域に住むことの意味を積極的に自覚し、イメージの交換をはばむ障壁の構築にたいして積極的に抗議するような「リベラル」は、上のような権力の意図からみれば、むしろ初めからの異端よりは危険な存在とみなされる。(杉田敦編『丸山真男セレクション』より)

こうしたわけで、ほかならぬ自由主義社会で自由主義者が弾圧されるにいたる(ここで丸山はナチズムだけでなくアメリカのマッカーシズムも念頭に置いている)。
内側と外側を連絡するリベラルまでが外側に追いやられたとき、あるいは内側に吸収されたとき、もはや力をむき出しにした衝突は避けられなくなるのではないか。丸山がそうはっきりと言っているわけではないが、私にはそんな予感がする。
境界の住人たるリベラルに期待されているのは次のような役割である。

境界に住むことの意味は、内側の住人と「実感」を頒ち合いながら、しかも不断に「外」との交通を保ち、内側のイメージの自己累積による固定化をたえず積極的につきくずすことにある。(丸山、前掲書より)

「イメージの自己累積による固定化」というのは、「内側の住人(正統の世界)と外側の世界とのそれぞれにおいて「世の中」のイメージについての自己累積作用がおこり、それによって両者の間の壁がますます厚くなるという悪循環」のことである。この悪循環によってぶ厚くなった壁を掘り崩すのが境界領域の住人の仕事ということだ。なぜなら「外側からのイデオロギー的批判がたとえどんなに当っていても、まさに外側からの声であるがゆえに内側の住人の実感から遊離し、したがってそのイメージを変える力に乏しい」以上、これは中心部ではないが内側にいる人間にしかできないからだ。
しかし、これもまた難しい。

「反主流」や「反体制」の集団もそれなりに中心部と辺境をもち、そこから発する問題をかかえている。その場合一般に、境界から発する言動は、中心部からは「無責任な批判」と見られ、完全に「外側」の住人からは、逆に内側にコミットしているという非難を浴びやすい。(丸山、前掲書より)

まったく損な役回りである。丸山も「いうまでもなくここにはディレンマがある」と認めている。

しかし知識人の困難な、しかし光栄ある現代的課題は、このディレンマを回避せず、まるごとのコミットとまるごとの「無責任」のはざまに立ちながら、内側を通じて内側をこえる展望をめざすところにしか存在しない。

いくら「光栄ある現代的課題」とか持ち上げられたって、いったい誰が好んで貧乏くじを引くだろうか(まあ私自身は知識人とはみなされないから気楽でいいが)。蓼食う虫も好き好きだから、そういう奇特な御仁もいるかもしれないが、仮にいたとしても、「内側を通じて内側をこえる展望をめざす」というのは、戦中の三木清の失敗を連想させる。
もちろん、丸山はこの文章を1961年の日本の現実をふまえて書いているわけだから、ここでいう「内側にコミット」というのは、戦後の平和憲法体制、戦後民主主義のことであるはずだ。しかし、それを今読んでいる私は、丸山の前提にした「内側」が大きく変質しようとしている時代に生きている。「内側を通じて内側をこえる展望をめざす」は、はたして将来でも通用するのか、いささか疑問である。