Web評論誌『コーラ』31号のご案内

先週、入院中の私の老父が三度目の危篤に陥った。主治医は今度こそだめだろうと脅す。加えて日曜には妻の父が急逝したとの報せが。
虫の知らせなんてなかった。しかも、本業の納期と重なった。緊急事態の連続に私ども夫婦は右往左往する羽目に。
看病のあいまになんとか仕事のめどをつけ、少し持ち直した老父に、明日帰ってくるからしっかり生きていろと言い聞かせて、大恩ある舅の葬儀に参列するために福岡に飛んだ。
私ども夫婦にとって、結婚以来、一番忙しい一週間となった。
てんやわんやだったので、告知が遅れたが、駄文を寄稿させていただいているWeb評論誌『コーラ』31号が発刊された。
私の〈心霊現象の解釈学〉は、旧稿のつぎはぎでお恥ずかしいかぎりだが、中原紀生氏の論考と寺田操氏のエッセイは素晴らしい。是非ご一読を。

 ■■■Web評論誌『コーラ』31号のご案内(転載歓迎)■■■

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 ●連載:哥とクオリア/ペルソナと哥●
  第41章 和歌三態の説、定家編─イマジナル・象・フィールド
  中原紀生
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 ■モネを超える試み、言葉のかたちをとる想念、レミニッサン
 前章の末尾、筆が走って思わず書きつけた「生きる歓び」の語に触発されて、定家の歌の世界における「歓び」に関連する話題を二つとりあげ、定家をめぐる予備的考察をしめくくりたいと思います。一つは、プルーストの無意志的想起と定家の本歌取りに共通する、認識と言語にかかわる「特別な歓び」や「力強い歓び」について。二つ目の話題は、世阿弥を典型とする日本の中世美論における「感」、すなわち「かたち」を通じて「もの」の「いのち」にふれた時に得られる「深遠な歓喜」をめぐって。 (以下、Webに続く) 
 
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●連載〈心霊現象の解釈学〉第9回●
  よく似た物語は同じ物語か
  ─―怪談の発生と伝播について
  広坂朋信
http://homepage1.canvas.ne.jp/sogets-syobo/sinrei-9.html

 前回(連載第八回、本誌26号)、「怪談の解釈学の目指すものは、体験を語る物語の類型が語られた体験に与える影響を、民話学などを参考にしながら中和し、「よくある話」「よく似た物語」から体験の異様さを救出することにある」と大見得を切った。大見得を切るところまではよかったが、そこからが難所である。私自身、それではどうしたら体験の異様さを取り出せるのか、正直言って考えあぐねている。ここからは手探りで考えることになるので、多少の論理の飛躍はこれまで以上にご容赦願いたい。(以下、Webに続く)
 
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 ●連載「新・玩物草紙」●
  夢の話/車中のひとは
  寺田 操
http://homepage1.canvas.ne.jp/sogets-syobo/singanbutusousi-35.html

 明け方よく夢をみる。たいていは断片しか覚えていないが、ときに「物語」を紡ぐように鮮明に覚えている。脳内に映像化されている箇所を書きだそうとするが、うまく表出できなくてもどかしい。ひとつひとつの場面は鮮明に思い出せるが、言語化には距離ができる。(以下、Webに続く)