中空構造論への疑問

「海幸・山幸の話」のように、海外にも類話が分布している伝説を取り上げて、それを日本神話として語るためには、日本以外の地域で伝えられているよく似た伝説と比較し、日本で伝えられているものならではの特徴を取り出すことが不可欠だろう。それなしには「海幸・山幸の話」を「日本神話」として語ることはできないはずである。
そんなことは思いもよらなかったというのなら話は別だが、河合氏は他人の説を引いただけとはいえ、自ら「インドネシアから西部ミクロネシアにかけての地域に類話の多い」ことを指摘しているのである(この点については後でまた触れる)。
ところが「海幸・山幸の話」を論じた部分で河合氏が比較の対象として持ち出しているのはギリシア神話と聖書だけなのだ。ヘレニズムとヘブライイズム、西欧文化の源泉と自国の文化を比較する、これは非常に近代的な感覚ではないだろうか。脱亜入欧という言葉が頭に浮かぶ。これは中国人に読まれることを意識して書かれた『日本書紀』ではなく『古事記』を河合氏が典拠として選んだことにも関係してくるように思われる(この点に関連するものとして神野志隆光古事記日本書紀古事記と日本書紀 (講談社現代新書)、『「日本」とは何か』「日本」とは何か (講談社現代新書)が面白かった)。
さて、河合氏は「海幸・山幸の話」を理解するにあたってホデリ(海幸)とホヲリ(山幸)の兄弟であるホスセリという人物に着目する。ん?そんな人いたっけ、と思うのだが、『古事記』をよく読むと確かにいる。海幸・山幸は実は三人兄弟の長男と三男で、次男が火須勢理命(ホスセリ)なのである。この人物はいるだけで、物語のなかでは何もしないし、語られもしない。何もしないからこそ重要なのだ、と河合氏は言う。河合氏によれば、ホデリ・ホスセリ・ホヲリの三兄弟の関係、長男と三男がそれぞれ海と山という対照的な関係にあり対立するのに対して両者にはさまれた次男が無為なる中心という三項関係(河合氏はトライアッドと呼ぶ)は、『古事記』の冒頭に登場する三柱の神々、タカミムスヒ・アメノミナカヌシ・カミムスヒによる第一のトライアッド、高天原三貴子、アマテラス・ツクヨミ・スサノヲによる第二のトライアッドと対応するとして次のようにいう。
「タカミムスヒ、アメノミナカヌシ、カミムスヒの組、そして、アマテラス、ツクヨミ、スサノヲの組、いずれの場合においても、第一の神と第三の神はいろいろと活躍し、その間に対立や妥協が成立したりするのだが、中心の神は徹底して無為なのである。」(p277-276)
「ホスセリが中心にありながら、まったくの無為という点は、第一、第二と同様である。この三つのトライアッドによって「中空構造」は完結する。」(p280)
このように『古事記』に見られる「中空構造」こそが「日本人の心のあり方に深く関連している」というのが河合氏の見立てである。この中空構造論には以下に述べるようにいくつか疑問が浮かぶ。
第一の疑問は、アメノミナカヌシ、ツクヨミ、ホスセリは同じような意味で無為の中心なのか、という疑問である。
まずアメノミナカヌシについて言えば、この神は『古事記』の最初に登場する神であって、ツクヨミ、ホスセリのように三人兄弟(姉弟)の真ん中ではない。タカミムスヒ、アメノミナカヌシ、カミムスヒを兄弟に見立てれば長男に当たる。また西郷信綱は(この神が)「ほとんどはたらきをしていないのは、一種の論理的な要請にもとづいて考え出された神だからであろう」と指摘している(『古事記注釈』古事記注釈〈第1巻〉 (ちくま学芸文庫)p100)。つまり記紀神話のベースとなった伝承には起原説話が欠けていたので抽象的な神格を設定したのだろうということだ。そうするとアメノミナカヌシの性格は、仮構された起原ということになる。
ツクヨミについては、月と夜を支配する弟は太陽神である姉、アマテラスの裏の顔という面もあれば、河合氏も指摘するとおり(河合、p119)スサノオとまったく同じエピソードが語られてもいるので弟の分身だとも言える。ツクヨミは確かに曖昧で不確定な存在だが、無為の中心とは言えまい。むしろ、両義的な存在というべきだろう。
ホスセリについては、『古事記』と『日本書紀』とでは兄弟の構成が違うのである。『日本書紀』本文では長男は「ほのすそりのみこと」でホスセリと似た名だが隼人の始祖とされるからホデリ(海幸)であり、次男がホヲリ(山幸)に当たる彦火火出見尊、三男がホスセリに当たる火明命で尾張連の始祖、とされている。つまり河合によって中心とされた次男の位置にはホヲリがいるのだ。さらに、一書(第二)と(第三)では火酢芹命、火明命、彦火火出見尊(ホヲリ)の順、一書(第五)では火明命、火進命、火折尊、彦火火出見尊と四兄弟になっており、ホヲリ(火折)と山幸(彦火火出見)が別人に数えられている。一書(第六)ではまた三兄弟に戻るがその順は火酢芹、火折、彦火火出見でホスセリが長男となり、ホヲリ(火折)と山幸(彦火火出見)が別人。もう面倒なのでこの辺でやめておくが、無為の中心にしては位置が変わるうえに尾張連の始祖という位置付けもされているのが海幸でも山幸でもない兄弟なのである。さらに『日本書紀』でいわゆる海幸・山幸の話に登場する意地悪な兄貴海幸彦を演じているのは「ほのすそり」または火酢芹の名を持っている(一書第八、ほか)。このように海幸でも山幸でもないもう一人(か二人)の兄弟がいたという伝承はいくらもあるが、その性格は海幸対山幸の主導権争いに加わらなかったその他、という位置付けであって無為ではあっても「中心」とは言い難いのである。
第二に、中空構造論ははたして河合氏が言うように、あるいは企図したように「日本神話」に固有の構造なのだろうか、という疑問がある。この疑問は、実は河合氏自身の叙述から生まれてくる。
『神話と日本人の心』の最終章において河合氏は、神話の中空構造(中空均衡構造)の日本文化・社会への影響の例として天皇制やいわゆる調整型リーダーシップの例を挙げ、それには「ネガティブな性質をもつことも事実であるが、老子の哲学に従うと、それはきわめてポジティブなことにもなってくる」と述べている。なんと『老子』の無の思想によって中空構造に積極的な意味を与えようとしている。
さらに河合氏は大林太良の研究を引いて「日本神話の『中空構造』が多文化にも認められることが明らかになって、それがまったく特異なものではないことがわかった」と述べる。もっとも大林はインドネシアの神話を研究するにあたって河合氏の中空構造論をモデルとして採用しているのだからその点は割り引いて受け止めなければならないが、ともあれ河合氏は中空構造が日本神話に固有のものではないこと、すなわち中空均衡構造が日本文化・社会の特性ではないことを肯定的に認めている。
中空構造がアジアの他の地域の神話にも認められ、しかも、それに積極的な意味を与えるために中国の老荘思想を援用することもできるのであれば、それを「日本神話」(実際には『古事記』)として、限定的に論じるべきではないのではないか。それは「日本神話」として語りうるものなのか?河合氏が語ってきたのは「日本神話」だったのか?