逆オリエンタリズム

先だって、「Web評論誌『コーラ』14号」掲載のST氏のデリダ論「継承と隔たり――いかにしてデリダは/を継承するか」に簡単なコメントを寄せさせてもらった。
http://sakura.canvas.ne.jp/spr/lunakb/gendaisisou-1.html
読み返してみると、あまりに簡単にすぎて恥ずかしい。
そこで、ST論文を読んで思い出したことを少し書きとめておきたい。
ST論文の最後はこう締めくくられていた。

だから私たち「日本人」が、デリダを継承するならば、デリダに対して未だ西洋の内に留まっているという批判を向けて満足することはできず(外を安易に想定することでデリダ批判者たちが尚も西洋的思考に陥る逆説と循環を先に見たから)、自分たちが日本の内にいると確信したり(例えば自己同一性)その外に出られる(例えば普遍性、範例性)と確信することはできない。

これに関連して、思い当たることがあった。
1983年、デリダが来日した。
1983年といえば、なんだったか忘れたが、あるテレビ番組で、唐十郎寺山修司大島渚が同席して、唐の小説『佐川君からの手紙』を原作に、寺山が脚本を書いて大島監督で映画化しようか、などと三人で盛り上がっているのを見て、そいつはすげえやと軽薄な青年だった私は興奮したものだったが、寺山修司はその年のうちに死んでしまった。確か、五月の頃だったと思う。この年、野田秀樹如月小春渡辺えり子といった若い演劇人たちが世に知られるようになり、小劇場ブームが起こった。浅田彰『構造と力』、中沢新一チベットモーツァルト』が出てニューアカブームが起きた。正確な記憶ではないが、バンドブームもこのころだったのではないか。
世情にうとい私でも、何か浮かれたような気分になったものだ。
そんな喧騒の中にデリダがやってきたものだから、講演会はたいへんな盛況だったと聞く。
さて、その折の講演をまとめた『他者の言語―デリダの日本講演 (叢書・ウニベルシタス)』に、中川久定デリダの問答が記録されている。京都で行なわれた「時間を―与える」と題された講演の後の質疑応答の記録である。
中川久定氏は、当時、日本のルソー研究の第一人者であった。『蘇るルソー』というご著書があって、頭の悪い学生だった私は一所懸命読んだものだ。
それはさておき、中川とデリダの質疑は前掲書P126-P136におさめられているが、素人目にも話がうまくかみ合っているようには見えない。
質疑に先立つデリダの講演は、モースの贈与論を題材にして、贈与と犠牲の問題を扱ったものだが、中川の質問は、デリダの中にはヨーロッパ的発想では思考されないものがあり、それが日本人の前に明かされたのではないか、と問うものだった。中川は続けてこう付け加えている。

例えばヨーロッパの霊長類研究者たちは猿と人間とを序列の違う存在と考えていますが、日本人は断絶の哲学とは無縁ですから、猿と同じレベルに立っています。だから、例えば日本の霊長類研究者は平然と猿の遊びに加われるのです。これはあなた方には不可能ではないでしょうか。

「日本人は断絶の哲学とは無縁」かどうかは大いに疑問である。また、霊長類研究者の比較も、はたして実態に即しているのかどうかはわからない。
これに対してデリダは、中川の前提としている「われわれ日本人」とは何か、を再三問い返す。

つまり、あなたが「われわれ日本人」と言われるとき、あなたは何について話しておられるのでしょうか。日本についてですか。日本の国民的文化についてですか。日本のなんらかの思想ないしは伝統についてですか。なんらかの宗教についてですか。そのどれでしょうか。

この問いに対して中川は「日本人の神話『古事記』」を挙げるのみで満足に回答していない。ただ、次のように質問を繰り返す。

あなたはあなたの思想の射程を普遍的なものと主張しておられるのでしょうか、それともヨーロッパの内部に限定されると考えておられるのでしょうか。

二人の応酬は続くのだけれども、繰り返しになるので引用しない。
中川の発言の趣旨はこういうことだ。キリスト教とその哲学的形態であるヘーゲル弁証法とセットになったものとしての西洋形而上学の枠組みを批判するデリダは、ヨーロッパ的思考の内部から出発してその限界まで問い詰めるが、「われわれ日本人」はその外部にいる。そこでデリダがヨーロッパ的なものを批判し抜くとき、「われわれ日本人」にはとても近しく感じる。
中川の、質問の趣旨ではなく、質問の中に含まれたメッセージは以上のようなことだったろうと思う。
こうした主張、あるいはその前提についての懸念を、デリダ宇野邦一氏の質問に対して答えるなかでも表明している。

私は次のことをあなたほどには確信していません。すなわち、グロトウスキーないしアルトー―というのもグロトウスキーはしばしばアルトーを引用しているからですが―における西洋演劇批判が、西洋演劇の或るタイプの批判であるからといって、東洋的である、などとは確言できないと思うのです。私は東洋への言及には、たとえそれが日本人の側から私に話される場合でも、たいへん警戒しています。私は西洋人たちのあいだで、彼らが「極東」と言うとき、時どき少しばかり、いやいつも心配なのです。こういった幻想、投影ないしでっち上げは周知のものです。とはいえ、これは多くの西洋人たちにおいて、ほとんどいつも、非常にひんぱんに起こっていることなのですが、それが日本人たちにも起こりうるのですよ。(前掲書、P140-P141)

今なら、逆オリエンタリズムとでも言うべきか。
これは決して中川久定という一人の人物に帰せられる傾向ではなく、かなり厚い層と広い範囲でさまざまに変奏されて繰り返されてきたことではないのか。今、いちいち例示する余裕がないのだけれども、西洋あるいは近代の限界に対して、日本あるいは東洋文化を対置する、しかも並列的にではなく、日本あるいは東洋の優位を前提にして、西洋の自己批判的言説を参照するような態度が、80年代の「現代思想」受容の背景にあったのではないかと邪推している。