林道義氏による河合中空構造論批判

河合氏の中空構造論に対しては林道義氏が『日本神話の英雄たち』で面白い指摘をしている。
日本神話の英雄たち 文春新書
林氏もまたユング心理学者であり、フェミニズム批判や家庭教育の重視など社会問題への発言も多い保守派知識人である。門外漢から見ると河合氏も林氏も同じ穴の狢のように見えるが、意外にも林氏は鋭い河合批判をしている。
林氏によれば、中空均衡構造は「歴史的に見ましても、日本の天皇制に当てはまる」、そのこと自体は河合氏自身も述べていることだが、しかしそれは「日本神話の実際の内容と合っていない」「中空構造がもし神話のなかに見られるとしても、それが日本文化の原型、つまりプロトタイプであるとは簡単には言えません」「現在の精神構造として中空構造ということがたとえ言えるとしても、しかし神話のなかにはそういうものは存在していない」。
結局、河合氏は現代の象徴天皇制についての現代人の集合的意識のあり方をモデルに「中空構造」という観念をつくりだし、それを過去に投影している、これは結論が先にある「強引な論理」だというのが林氏の批判の要点である。
林氏の批判を念頭に置くと河合氏の神話論に矛盾があるのも納得がいく。それは深層心理学者としての経験値による著者独自の日本人観が現実の記紀神話の分析や推論に先立っているためなのだ。ただし、河合氏自身もそれを自覚しており「現代においては、各人は自分にふさわしい個人神話を見出す努力をしなくてはならない」からその参考に「『私』という人間が、日本神話の世界にひたりきることによって得たことを、本書に述べることになる」としたうえで「その評価は、読者個々人が自分の生き方との照合の上で、主観的に下される判断にゆだねることになろう」という。
つまり本書は著者個人の内面の神話を表現した一編のロマン、大仕掛けな私小説として読まれるべきであって、事実と違うとか、論理が矛盾しているとかという批評は大人げないことなのだろう。そうであるならば、本書中の「日本人」という単語を集合名詞としてではなく、小説の主人公の名前のような固有名詞として受け止めなければならない。固有名詞と集合名詞が直結するというのは、まさしく神話的発想ではないだろうか。