哲学と中国・続

先日、ちょっと読みかけていた中島隆博哲学 (ヒューマニティーズ)』について日記に書いた。
http://d.hatena.ne.jp/t-hirosaka/20090709/1247073734
この日記を読んだ方から、「中国哲学」とは何事か、「哲学」とはphirosophyの訳語として明治になってから日本で作られた和製漢語ではないか、というご指摘があった。
それはその通りである。
和製漢語、近代漢語の問題は、すでに子安宣邦漢字論』などでも論じられており、それ自体は目新しいことではない。
もちろん、私の日記でも「この「中国哲学」(「日本哲学」も)というのは本書でも論じられているように問題を含んだ名称なのだが」と断りを入れているように、『ヒューマニティーズ 哲学』の著者、中島隆博はそのことを十分踏まえた上で、あえて「中国哲学」という名称を使用している。この点が中途半端な書き方だったので誤解を招いたのかも知れないから、少し書き足しておこうと思う。
中国哲学だけではなく、日本哲学も、インド哲学も、その他、非ヨーロッパ圏での前近代の思想を「哲学」と呼ぶのは、あくまで類比にもとづいた表現であって、哲学的思想とでも言うべきだろう。しかし、日本や中国でphirosophyを「哲学」と漢字二文字で呼ぶことも、phirosophyの伝統から生まれてきたわけではない。儒学や(漢訳)仏教の素養を背景にしてこの訳語が生まれてきたわけだ。ついでに言えばphirosophyの訳語としては「哲学」以外の語も候補に挙がっていた。そのうちには「理学」という、明らかに朱子学に由来する言葉もあったかと記憶している。
こうしたことを忘却して、日本だの中国だのの哲学史を語ってしまうと、はなはなだ危ういことになる。
例えば、記紀神話から古代人の倫理観や国家観、宗教観などを読みとり、『万葉集』から古代人の美意識を抽出し、それらを材料にして一つの思想像を作りあげることは出来るだろう。そしてそれを起点として、その継承、批判、変容、展開などの歴史として、一つの思想史を描くことも出来るだろう。しかし、それを「日本哲学史」と呼ぶことはためらわれる。和辻哲郎がそうしたように「日本精神史」とでもするのがせいぜいのところだ。それにしても、歴史的に継承されてきた「日本精神」なるものがあるのか、と問われれば、やはりそれも眉唾になってくる。
だから、こうした反省なしに「日本哲学」はもちろん、「中国哲学」あるいは「東洋哲学」を語るのは危険なことであるのだ。
このこと自体は、今や人文の領域では前提とすべき事柄だろう。問題はその先である。先にふれたように、「中国哲学」はもちろん、「日本哲学」も「日本精神」も、実体として存在するわけではなく、それを語りたいという意志が言説上で構成したものであるとするならば、それを踏まえた上で何が言えるか、何が問えるか、ということだろう。
さて、中島は、デューイに学んだ近代中国の哲学者、胡適が、西洋哲学史になぞらえて「中国哲学史」を書いたことを挙げて次のように言う。

問うべきは、胡適哲学史定義の浅薄さではない。そうではなく、中国における近代的な意味での最初の哲学者である胡適が、哲学そのものを書かずに、中国哲学史を書いたこと、すなわち中国の哲学の歴史を書いたことの哲学的な意味である。

中島によれば、胡適中国哲学史とは結局、ヘーゲル的な「内的なロゴスの歴史」であった。

「東洋」の諸国は、できるだけ急いで西洋化し、ロゴスの支配者の列に入りこもうとした。それは、日本は無論のこと、中国においても同様である。そして、哲学は、いや哲学こそ、近代において、ロゴスの支配の片棒を担いでいた。だからこそ、胡適もまた、中国哲学史を通じて、ロゴスの支配を我がものにしようと欲したのである。

しかし、それでもなお、中島が胡適の試みを回顧し、「中国哲学」という語を用いるのは何故か。

とはいえ、わたしたちが今、中国哲学、すなわち哲学を始めようとするのであれば、胡適の限界から出発し、胡適をも含む歴史に対する遺産相続の責任を担わなければならない。それは胡適とは違った仕方で、哲学の歴史に向かい合うことである。つまり、「自覚」によって内的なロゴスの歴史という強力な歴史を自己の内に領有することではなく、哲学史に回収されないような歴史を拾い上げ、そこに別の思考の可能性を発明することである。

この一文に、ドゥルーズガタリの哲学の定義「尺度なしに概念を創造すること」から出発して、「中国に接続」することによって、「哲学と非-哲学のもう一つ別の哲学的関係を、中国において見」ようとする中島のスタンスがよく表れていると思う。
それしても「中国哲学、すなわち哲学」とはいかにも挑発的な物言いである。ここに、「哲学」とはしょせん近代の輸入品だから云々という地点にいつまでも留まっているつもりはない、という意気込みが見てとれる。