国家神道は幻想か3新田説の特徴

新田均『「現人神」「国家神道」という幻想』における「国家神道」幻想説を検討する。
新田の議論も葦津説のリメイクであり、検討すべき論点は葦津説のうちに出尽くしているともいえるが、新田には葦津、阪本にはない特徴もあるので指摘しておく。

欺瞞

葦津の神道指令批判が、神道指令はその非難の対象を「国家神道」と呼称するべきではなかった、という批判であるのに対して、新田は、従来の国家神道批判者が指摘するような事実はなかったとまで強弁する。史実を斟酌しないことを宣言した私が、新田の主張を「強弁」とまで侮蔑して言うのは、新田の議論の推移に欺瞞を感じるからである。
新田の議論は「そんなものはなかった」→「確かに個別の現象としてはあった」→「しかし大したことではなかった」→「したがってそれは幻想である」というパターンを踏んでいる。これはスキャンダルをうち消すためによく用いられるレトリックであり、論理とは言い難いからである。

上智大学事件

なお、新田は著書の第二部第三章で上智大学事件を取り上げている。この上智大学事件の場合、神社参拝についてある時期から拒否できないような社会的ムードが出来上がったことを認めながらも、それは「法的」強制ではなかったのだから、「法的強制」という事実はなかったと新田は主張する。しかし、当時のように神社非宗教制、教育制度、不敬罪などの社会制度が合法的に成立しており、かつそれらの社会制度が個人の信教の自由と抵触する状況を法によって正せないケースは、法の欠陥によって強制されたと見なされてもよいと思うがいかがか。

真宗悪玉説

また、新田の真宗悪玉説(国家神道悪玉説は戦後、浄土真宗が自らの戦争協力を誤魔化すために唱えたという説)はさながら陰謀史観の様相を呈しているが、「「国家神道」とはさましく「浄土真宗」のことである」(新田、P244)としておきながら、挙げ句には「みんなが望んだ「共同幻想」だった」(新田、P249)とする。ここは(新田の立論に従えば)「国家神道幻想が存続したのは「みんなが望んだ「共同幻想」だった」からだが、なかでも浄土真宗の影響は比較的大きい」とでもすべきところである。
この部分でも新田の議論のパターンは論理よりもレトリックに傾いており、浄土真宗悪玉説自体が新田の望んだ幻想なのではないかと疑わせる。

他の神道学者の見解

神道学の専門家たちがみな「国家神道」幻想説、あるいは神道無謬説に立っているわけではない。

大東亜戦争は積極防衛であつたので、大東亜共栄圏の建設といふ標語を掲げたが、侵略戦争の疑ひをかけられる惧れが多分にあつた。(中略)
神道にとつては、かうした疑いを受けた事は不幸である。然し、単純に神国観がいつでも問題が無いと考へるやうな楽天的な受け取り方をして来たものにとつては、実に大切な反省の機会である。(小野祖教著/澁川謙一改訂『神道の基礎知識と基礎問題』、P395)

この小野の文章も、ある意味では幻想説に立つものだが、「侵略戦争の疑ひ」をかけられたものとして、「大東亜戦争」と「神道」を並置している点において、それが侵略戦争だったか「積極防衛」だったかは別として、「神国観」が戦争になんらかの役割を果たしていたと小野が考えていることを示唆している。

私個人は、排他的な信仰からもっとも遠いものが神道だと思っているが、いわゆる「国家神道」による神社強制参拝や不敬罪など、歴史的には排他性を帯びた時代があったことを自覚している。(鎌田東二編著『神道用語の基礎知識』、p300)

鎌田は、「排他的な信仰からもっとも遠いもの」という鎌田個人の神道観と、歴史上の「いわゆる「国家神道」」を区別しており、後者を神道の逸脱形態とみなしていることがうかがい知れる。
以上、いずれも新田ほどの強弁は、神道家においてさえ、まれであることを示すために挙げた。