『国家と犠牲』

義父は、勤労動員された長崎で被爆した。そういう個人的事情もあって、原爆については関心があった。
一年ほどまえ、まだ、この日記をはじめたばかりのころ、こうの史代夕凪の街 桜の国 (アクションコミックス)』(以下、こうの作品)の読後感を記した。こうの作品は広島の被爆を題材にしたものだが、やはり義父のことが思い出されて、いささか感傷的になった。
ところがその後、よんひゃんさんの記事http://d.hatena.ne.jp/yhlee/20050127/p1を拝読して、自分のは感傷的に過ぎたなあ、と思った。
よんひゃんさんは、こうの作品について次のように評している。

主人公たちは怒りをあらわにしない。静かな諦念の中にいる。泣いたりわめいたりせず、ただ日常を淡々と生きる人たち。確かに、原爆の惨禍で人生をずたずたにされても、多くの人の生き方はそのようなものだったのだろう。そこを掬い取って見せることにより、かえって無残さを際立たせる。そのような手法は理解できる。これを読んで感動した人たちも、たぶんそういうものとして受け止めているのだろう。

残虐な事件の被害者やその家族が、涙を押し殺し、淡々とした態度で、周りに配慮さえしてみせる姿は、その人たちの徳の高さを見せてくれる。感動を与えるのは当然かもしれない。だが、そういう被害者像を好ましいものとして受け止める感性は、あまりに日本人的だなぁ、とわたしには感じられる。その裏に、外野にとって好ましくない被害者、つまり、恨みをぶつけ、取り乱す姿を、醜い、自分勝手、とそしる残酷さを見るような気がして、そこがどうもひっかかるのである。

「怒りの広島、嘆きの長崎」という評言があるそうだ。それからすると、こうの作品の描き出したイメージは、広島よりむしろ長崎にふさわしいのかもしれない(もちろん一概にいえるはずもないが)。
長崎といえば、少し前に、被爆者に対して政治的発言を慎むようにという要請がなされたという報道があって、ウンザリしたことがある。
http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20060515/mng_____tokuho__000.shtml
反戦や平和を語る被爆者は「外野にとって好ましくない被害者」ということなのだろう。これなどは「嘆きの長崎」などといってすますことのできない話である。
ところで、高橋哲哉国家と犠牲 (NHKブックス)』には、長崎の被爆を「貴い犠牲」として語り出した永井隆についての批評がある。永井の著書はクリスチャンだった私の実父の本棚にもあり、父がよく「偉い人だ」と語っていたから名前だけは記憶していたが、自らも被爆しながら被爆者治療に貢献した医師という以上のことはよく知らなかった。
高橋によると、永井の著書『長崎の鐘』は「長崎への原爆投下を「神の摂理」として解釈したもの」だという。
高橋はこの犠牲の論理が語り出された背景に、当時「原子爆弾は天罰」と言われたりしたことを挙げている。あれほど悲惨な目にあったうえに「天罰」呼ばわりされてはたまったものではないだろう。どうして天罰などと言われたのか。高橋は、爆心地である「浦上地区が隠れキリシタン地区であり、被差別部落があったこととも関係があると思われる」としている。

こうしたことからすると、「原子爆弾は天罰」という右の見方は、キリスト教という日本社会では異質な信仰をもっていた一団に対する一種の差別意識が表面化したものとも考えられるし、そこにはさらに被差別部落に対する差別意識も絡んでいたと考えられるでしょう。(高橋、p64)

永井はこの「天罰」説を、「「神の摂理」だと、「神の恵み」すなわち「恩寵」だと逆転させた」。このレトリックの意味を、高橋は次のように言う。

浦上のカトリック信者は、繰り返し迫害を受けてきた歴史の記憶をもち、しかも(永井の記述によれば)戦争中は平和のために祈り続けてきた。それにもかかわらず、そういう人々の上に原爆が炸裂した。この被害について、どのような理由づけが可能なのか? 「天罰だ」と言われたのでは、その苦悩は深まるばかりです。そこで同じカトリック信者として永井隆は、彼ら彼女らの疑問と絶望に対して、何等かの答えを与えなければならなかったのだと想像できるでしょう。実際、永井の「神の摂理」という考え方によって「天罰だ」という思想が否定され、「救われた」と証言する被爆者も浦上には少なからずいたのです。生き残った人々は、家族や友人や知人や信仰を同じくする同胞のあまりにも無惨な死が、それでも戦争を終結させ世界に平和をもたらすための「神の摂理」だったのだと言われれば、大きな慰めと救いを与えられたかもしれないのです。ここには、戦争の死の悲惨さ、虚しさ、割り切れなさに「意味」を与え、遺族など生き残った者に慰めを与え、その喪失感を埋め合わせるという「犠牲の論理」の一般的効果が存在するといえるでしょう。(高橋、p68)

もちろん、このレトリックの有効範囲は厳密には「カトリック共同体のなか」だけであり、高橋は「もっと広い視野で考えると、巨大な問題を含んでいる」として、このレトリックにより米軍による原爆投下が正当化されてしまうことを指摘している。
ただ、私は視野が狭いので、もっと些細なことが気にかかる。永井のレトリックは勤労動員されたことでたまたま長崎に居あわせた私の義父やその他の人々には当てはまらない。そればかりか、永井が次のように語るのを読むとき、私は嫌悪感を覚える。

これまで幾度も終戦の機会はあったし、全滅した都市も少なくありませんでしたが、それは犠牲としてふさわしくなかったから、神は未だこれを善しと容れ給わなかったのでありましょう。然るに浦上が屠られた瞬間初めて神はこれを受け納め給い、人類の詫びをきき、忽ち天皇陛下に天啓を垂れ、終戦の聖断を下させ給うたのであります。(高橋、p61、より孫引き)

ここには明らかに犠牲者に等級がつけられている。浦上の被爆者以外の戦争犠牲者(長崎の被爆者に限ってもかなりの数だろう)は「犠牲としてふさわしくなかった」というのである。永井が、原爆は天罰だという見方を否定したかったのはわかる。だが、これでは「原爆は天罰だ」という言葉に含意されている差別意識を裏返しただけではないか。高橋が永井のレトリックを「靖国の論理」と同型の「犠牲の論理」であるとするのもなるほどと思う。