昨夜、ささやかな贅沢に酔ったばかりだが、下記の研幾堂さんの「歯車は廻り始めた」と題された記事を読んでその酔いを一撃で醒まされた。
http://d.hatena.ne.jp/kenkido/20051029
上記記事に引例されているケースは、特別なものではない。
低所得者用集合住宅の住人である私は、間接的にだが、こうした話を時折耳にする。
聞くたびに明日は我が身とヒヤリとしながら、日々の暮らしや目先の仕事に集中することで、目を背けてきただけである。
実は、明日は我が身どころか、夫婦そろって失業し、路頭に迷う寸前になったこともあった。私たち夫婦の今日があるのは、いくつかの幸運のお陰であるにすぎない。そして天佑がふたたびあるという保証はない。
飛躍のあることは承知だが、この記事を読んで思ったのは、かかる悲惨の蔓延する愚劣な社会にしないためにも、これが悲惨であり、それが容認される社会は愚劣であると思う人間は、まず自らが生き延びなければならないということ。
やってくれるだろう、言ってくれるだろう、と、誰かに期待することはできない。
というわけで、少し仕事に身を入れることします。