事実婚について

事実婚にこぎつけるまでのご苦労を書き留めている方がいた。
http://d.hatena.ne.jp/nagano_haru/20090515/1242386066
経験者としてコメント欄にエールを送ろうかとも思ったが、年長者にありがちな説教口調に陥るだろうからやめた。代わりに、自分のことを振り返って書き留めておく。
事実婚に至る経緯は、連れ添おうと思った相手がどんな人かで十人十色だと思うが、私の場合、妻がnagano_haruさんと同じく「苗字を変えたくない」と言ったのが始まりだった。その後の私の対応をnagano_haruさんの十段階行程表に当てはめると、1から3まで、及び5は端折ることができた。他人事としてはそういう選択もアリだと知っていたからである。
しかし、いざ我が身のこととなってみると、4.6.7.8.すなわち親や会社や世間体のことは引っかかった。役場での扱いがどうなるかも気になった。
ただし、このうち、8.職場での扱いは、うだうだしているうちに二人とも当時の勤務先を退職することになり、先に再就職先を見つけた妻に養われる立場になったので扶養手当云々もどうでもよくなった。私の再就職にあたっては、面接の時に「同居している婚約者がいます」と伝えたが、「事実上の奥さんだね。よくいるよ、そういう人」と言われただけでそれ以上は突っ込まれなかった。これで8.は完全クリア。
世間体も、これは地域差があるかも知れないが、アパートを借りたときも団地に引っ越したときも婚約者でパス。役場への届け出は、内縁の夫婦でOK(自治体の方針によって扱いに違いはあるかも知れない)。
最大のハードルは私(長男)の親の理解だけとなった。
そこで「9.身近な事実婚の人」のアドバイスを仰いだところ、「時間をかけてゆっくりと説得するしかない。とにかく二人で幸せに暮らしていますということをアピールし続けていけばたいていは折れる。そのうち親戚・知人のなかからも援軍が出てくる(我が子なら許さないが他人事なら可という人は多いから)。子どもが生まれれば孫可愛さにたいていの親は一発で落ちる」とのことだった。実際、父方の叔母と母方の叔母各1名が私の肩を持ってくれた(「今風でいいんじゃない」「堅いことは言わないで」云々)。
しかし、妻は思いもかけぬ方法で強行突破した。すなわち、私の頑固親父に正面から喧嘩を売って、私の実家との交際を断絶したのである。
直後は激しいショックで鬱状態になり、その後も3年くらいは実家に行くたびに針のむしろだったが、幸い妻が律儀な性格で中元やお歳暮、母の日・父の日のプレゼントなどを絶やさなかったことが功を奏して昔気質の両親の態度も徐々に軟化。父が急病で倒れた時に二人で見舞いに駆けつけたのを機に、現在では若干は関係が和らぎ、冷戦中ながらも和平交渉継続中といったところか。
私どものように、子なし共働きの場合、事実婚でも現実生活で困るという場面はほとんどない。
予想される困難としては、死亡時の保険金の受取人に互いを指名できないこと(調査を受ければどうにかなるようだが面倒なので断った)、どちらかが逮捕・収監された場合に面接に行けないこと、などが考えられるが、直近の心配はないと期待しているので、あまり考えないようにしている。
私は政治活動がきらいで、特に何に使われるかわかったものではない署名などはほとんどしないが、唯一、別姓婚を認可せよという陳情が回ってきたときだけは無条件で署名している。消極的だが、対策と言えばそれくらいである。
なお、子どもはもう出来ないだろうが、生まれた場合は私が認知することになっている。

追記

誤解があるといけないので書き添えておくが、上記は惚気話ではない。
肉親との諍いというのは、非常に辛いものである。
たとえこちらに正当な理由があっても、父が怒り狂い、母が泣きわめくのを見るのは辛い。
この辛さに対して「それは旧いジェンダー意識にとらわれているから」とか「家父長制的な権力構造が云々」と説教を垂れる奴はクズだと思っている(実際、そういう低俗な自称フェミニストを幾人も見てきた)。
当たり前のことだが、社会通念と異なる生き方を選択すると程度の差はあれ何らかの軋轢が生じる。それに対決する覚悟は必要だが、同時に軋轢の効果を薄める智慧も必要である。いかなる犠牲を払ってでも、と言うは容易いが支払限度額をオーバーするケースだってあるだろう。軋轢そのものは決して回避できないからこそ、副次的な被害も最小限にとどめたい、と中年になって保守化した私はつくづく思う。
振り返れば、私の決心が変わらなかったのは、さまざまな別の事情が現在の生活のスタイルを後押ししたからであって、特別に志操堅固だったからではない。例えば、書いたように、事実婚はやってみれば呆気ないほど簡単である。同棲と違うのは「夫婦なんですけれど、互いの姓を変えるのが嫌なので入籍していません」と周囲にことわりをするだけだ(たいてい「あっそう」とあっさり納得されて拍子抜けするくらいだった)。このラクチンさも怠惰な私の気に入った。
また、私の場合、妻の実家が私のことを全面的に受け容れてくれたということも大きい。
だいいち貧しい団地暮らしなのに、対面ばかり気にして旧家のしきたりを守って窮屈に暮らすより今の方が毎日が楽しいのである。
さて、たった今、折悪しく実家の母から電話があって「野菜が取れたので届けに行く」というのでこれから駅まで迎えに行かなければならない。まだ言い足りないこともあるけれど、本日はこの辺で。

加筆・フェミニズム嫌いの理由

母は元気でした。
サラダ菜、玉葱、スナックエンドウ、胡瓜、小さな蕪をもらいました。
駅ビルにできた新しいショッピングモールで買い物をして喜んで帰っていきました。
ところで、上の記事、やはり言葉が足りないように思ったので加筆しておきます。
結婚制度に内在する性差別的構造というのは、意図的にしている人や、同じことですがそれに便乗している人の場合は扱いは別になるでしょうが、誰か特定の個人に責任があるわけではありません。
しかし、構造自体が責任をとってくれたり、改善してくれたりするわけがないので、その構造を変えようとしたり、その構造の外に出ようとしたり、ささやかでもその構造の悪影響を弱めようとしたりするのは、やはり誰か特定の個人です。そしていずれの場合でも、そう志した誰か特定の個人がそれによって生じる軋轢の当事者たることを引き受けざるを得ない。これも不可避だろうと思います。
私にもその程度の覚悟はありました。そして、現にそうなった。
ただその時に「お前らは今まで差別構造の上にあぐらをかいてきたんだからそのツケを払って当然」と言わんばかりの言動(言わんばかりどころかそのまんまのことも)に触れて「それってなんか違うだろう」とものすごく鼻白む思いがしました。これは仮定の話ではなくて、複数の自称フェミニストから幾たびも言われた私の実体験です。
構造的差別に無自覚であろうがなかろうが、孤立無援で家族と闘っているのは辛いんです。東大のおエライ社会学の先生が何を言おうが辛いものは辛い(マザコン少年の末路とか、さんざん言ってくれましたものねえ、あの方。その受け売りの如何に多かったことか)。
と、まあ、八つ当たり気味にダラダラ書き込みましたが、ひそかに応援していた美女木ジャンクション(深夜番組で「生ゴミ女」という歌を歌っていた女声デュオ)のブログで心温まる言葉を見つけたのでそれで締めたいと思います。
http://blog.livedoor.jp/yuuki_marie/archives/700560.html

「結城ちゃん。いい?辛いというこの漢字。
辛いことから一歩を踏み出すと幸せが待ってるんだよ。」



と、ペンで一本線をつけたした。









「ってね、金八先生が言っていたんだよ。」

そうかあ、金八先生がそう言うんじゃしかたないかあ。
さっ、晩ご飯の支度しなきゃ。

言い訳

思いもよらず、常連さん以外の方からもブックマークや☆印をいただいて、いささかビビっております。
この記事はnagano_haruさんとの対話によって成り立っておりますので、以下の記事、及びid:nagano_haruさんがトラックバックされた記事とあわせてご覧ください。
http://d.hatena.ne.jp/t-hirosaka/20090519/1242733525
私の暴言も文脈の中で含意をお酌みとりくださいますようお願いします。